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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.44 (2012年2月公開)

  • 教育・研究者
  • 大学受験科
新見公立大学 教授 山内 圭(きよし)さん

河合塾の授業を通して、英語のおもしろさに目覚め、<br />英語教員をめざそうという気持ちが固まりました。

  • 新見公立大学
    教授

    山内 圭さん

    出身コース
    大学受験科

「講義ノート」「読書案内」など、河合塾で体験した指導法を現在、大学の授業でも採用

・・河合塾に通うようになったきっかけを教えてください。

高校3年生のとき、国公立大学だけを受験したのですが、共通一次試験(現在の大学入試センター試験)で大失敗しました。数学は50点、トータルでも571点で、受験校は不合格になり、もう1年頑張って勉強しようと決めました。河合塾を選んだのは、大手予備校として信頼があったことと、高校生のときに受けた全統模試の解答・解説がとても丁寧だったという印象があったからです。浜松市(当時は浜北市)の自宅から片道約2時間かけて河合塾豊橋校に通いました。

・・河合塾に通うようになって、どのような印象を持たれましたか。

高校時代も、自分なりに精いっぱい勉強していたつもりだったのですが、それは学問を学ぶような感覚の勉強だったことを痛感しました。たとえば、世界史の勉強をしているとき、知らない漢字が出てくると、私はそれが気になってしまい、漢和辞典で詳しく調べてしまうのです。ある意味では本物の勉強かもしれませんが、受験勉強としては効率が悪く、成績が伸びないわけです。そんな私にとって、河合塾での学びは新鮮でした。得点力をアップさせるためには、どんな意識を持って問題に臨む必要があるのかが、よくわかる授業だったからです。たとえば、英語の長文問題では、先に設問を読んで、何が問われているかを理解したうえで長文を読む方がいい。受験生なら誰でも知っているようなことなのでしょうが、高校時代の私はそういうことすらも意識していなかったのです。

・・印象的だった授業はありますか。

河合塾には、現在、大学教授として活躍されている講師も数多く在籍されていました。現在、日本赤十字九州国際看護大学の教授であり、静岡大学で客員教授(防災総合センター)もされている鈴木清史先生もそのお一人で、「英作文」を指導していただいたのですが、とてもハイレベルな授業でした。授業の前に、生徒が黒板に自分の答案を書いておき、それを添削する形で進行するスタイルだったのですが、せっかくのチャンスだからと、私は積極的に自分の答案を書くようにしました。講師室を訪ねて、質問したり、添削指導をお願いしたこともあります。大学入学後も手紙で交流が続き、ご紹介いただいた先生のご著書『アボリジニー オーストラリア先住民の昨日と今日』も拝読しました。

高木先生の「英語総合」の授業では、単語や語句などの細部まで理解が深まるよう丁寧に指導していただきました。大学生の時、塾で講師のアルバイトをした際にもその教えを活かし、自作の補助プリントを作成するなど、生徒の理解促進につながるよう工夫しましたし、現在、大学の授業でも自作の「講義ノート」を配付するようにしています。

また、井藤先生の漢文の授業では、毎回、先生のお勧めの本が紹介されました。必ずしも漢文に関係のある本ばかりではなかったのですが、速読法の本が紹介されたときは大いに刺激を受け、早速購入しました。現在、「講義ノート」に読書案内のコーナーを設けているのは、この授業の影響です。こうしてみると、大学の教壇に立つようになった今、私が取り入れている教授法のいくつかは、河合塾時代の影響を受けていることがわかります。

それから、直接役立ったのは、入試直前の冬期講習で受講した古文の授業です。この授業で学んだ『宇治拾遺物語』の鷹匠の話が、受験した横浜国立大学の二次試験でそのまま出題されたのです。おかげで高得点をあげることができました。あまりの嬉しさに、その先生に河合塾気付でお礼状を書きました(笑)。

1年間で共通一次試験での得点が200点以上アップ!

・・そのほか、思い出に残っていることはありますか。

当時、テレビ番組『ザ・ベストテン』の受験生を激励しようという企画で、河合塾千種校にて、歌手の河合奈保子さんの収録を行ったことがあります。豊橋校にも彼女のサインが掲示されており、大ファンだった私にとっては励みになりました(笑)。

・・成績は順調に伸びていったのですか。

ええ。共通一次試験の得点は、571点から784点と飛躍的にアップしました。実は、河合塾に入る前に見たパンフレットに、共通一次試験での得点を大幅に伸ばした前年度の在籍生の声を紹介したコーナーがありました。よし、来年のパンフレットには絶対自分が掲載されるようにしようと張り切ったことを覚えています。実際に大きく得点を伸ばすことができたわけですが、残念ながら翌年のパンフレットにはそのようなコーナーはなくなっていました(笑)。

・・1年後、横浜国立大学教育学部中学校教員養成課程の英語科に入学されたわけですが、その志望理由をお聞かせください。

これはもう完全に河合塾で学んだことが関係しています。それまでの私は、将来、どんな仕事をしたいのか、暗中模索の状態でした。高校3年生の時にある国立大学の教養学部を受験したのは、大学に入学してから、幅広く学ぶなかで、ゆっくりと将来の方向を決められる学部だと考えたからです。ところが、河合塾の授業を通して、どんどん英語のおもしろさに目覚めていきました。中学生のときに見た『3年B組金八先生』で、漠然と教員へのあこがれの気持ちを抱いていたこともあって、英語教員をめざそうという思いが生まれたのです。そこで、チューターに相談したところ、「それはいい選択だ。教員という仕事がこの世からなくなることは絶対にない」と背中を押され、横浜国立大学教育学部を第一志望に定めました。今、大学で英語を教えているのは、河合塾とのご縁のおかげであり、そうでなければ、おそらくまったく違う世界に進んでいたでしょう。

河合塾の英語講師の影響で、大学時代は通訳ガイドのボランティアを体験

・・大学入学後、とくに力を入れたことは何ですか。

英語の勉強に没頭し、それ以外のことはほとんどやっていないと言っても過言ではありません。しばらく軟式野球同好会に籍を置いていたのですが、英語の勉強が忙しくなり、途中から休部状態でした。

・・具体的にはどのような英語の勉強をされたのですか。

入学式当日にESS(英語クラブ)に入部し、通訳ガイドセクションに所属しました。先ほど紹介した高木先生が、若い頃、観光地で外国人の観光ガイドをして実践的な英語力を鍛えたという体験談を語られたことがあり、私も同じような活動がしたいと考えたからです。神奈川学生ガイド連盟のメンバーとして、鎌倉や横浜で外国人観光客相手にボランティアで通訳ガイドを行い、英会話力を磨きました。そのほか、ESSでは、課題本を読んでブックレビュー(書評)をしたり、特定のトピックスに関するディスカッションをしたりといった活動にも参加しました。

・・その後、大学院に進まれたのですね。

中学校教員養成課程に入学したわけですから、当初は中学校の教員をめざしていました。ところが、塾でアルバイト講師として中学生を教えているうちに、中学校での学習内容は、基本的な事項が中心で、物足りなさを感じるようになったのです。一緒にアルバイトをしていた先輩の授業の方がおもしろいと人気が高かったことにもショックを受けました。その先輩は、大学の授業の宿題がわからず、私に質問ばかりしているような英語力だったからです(笑)。自分にはもう少し高度な英語を教える方が向いていると考えるようになり、大学院進学を決意しました。

・・どのようなテーマで研究を進められているのですか。

大学3年生のとき、アメリカのカリフォルニア州サンノゼに語学研修に行きました。その際、お世話になったホストファミリーがモンテレーという街に観光に連れていってくれました。モンテレーはノーベル賞作家のジョン・スタインベックの生まれ故郷の隣町で、作品の舞台にもなっています。さまざまなエピソードを聞くうちに、スタインベックの作品への興味が生まれ、修士論文のテーマにも選びました。スタインベックは、人間を生物のひとつと位置づけて描いていること、そして、どんな困難があっても、人間が負けない姿を描いているところに魅力を感じています。

現在でも、スタインベックの研究を続けるとともに、もう1つのテーマとして、国際姉妹都市交流の現状と意義、望ましいあり方の研究にも取り組んでいます。新見公立大学が設置されている新見市は、アメリカ・ニューヨーク州のニューパルツと姉妹都市協定を結んでおり、私は新見市国際交流協会の理事、およびアメリカ部会長を務めています。机上の学問研究だけでなく、こうした草の根交流に携わることにも、とてもやりがいを感じています。

子どもにはできるだけ多様な感動体験を与えたい

・・これまでのご経歴の中で、河合塾で学ばれたことが役立っていると感じられることはありますか。

先ほども申し上げたように、私の場合は、河合塾の授業によって、英語教員をめざそうという志望が固まりました。先生方から学んだ指導法も現在、大学の授業で数多く取り入れており、河合塾で過ごした1年間は、とても有意義な時間だったと思っています。

・・後輩たちへのアドバイスをお願いします。

大学に合格するまでは、自分の来年の姿をイメージすることができず、精神的につらい時期でしょう。私もそうでした。けれども、一生懸命勉強していれば、必ず明るい未来につながっていきます。後輩の皆さんも、それを信じて乗り切ってほしいと願っています。

・・最後に、保護者の方々に向けてメッセージをお願いします。

私には今年、小学校に入学する息子がいますが、父親として心がけているのは、できるだけ多様な体験をさせたいということです。先日は、一緒に近くの山に登り、雲海をながめました。息子なりに大きな感動体験になったようです。昨年の夏は家族でハワイに行ったのですが、公園に連れて行き現地の子どもたちと遊ぶ機会をつくりました。まだ特別に英語は教えていないのですが、言葉は通じないながらも、子ども同士、擬態語・擬音語やボディーランゲージを駆使して、結構通じ合うものです。それこそがコミュニケーションの基本であり、いい経験になったと思います。また、私は週1回、学内で「英語サロン」を開催しています。幅広い年齢層の市民や学生が参加する90分間の英語レッスンで、親子連れも多く、時々息子も参加させています。そうした多様な体験を通して、自分なりに関心を持つものを見つけてほしい。そして、子どもが興味を持ったら、それがどんなことであっても伸ばせるように応援することが、親としての役割だと考えています。

Profile

山内 圭 (Kiyoshi Yamauchi)

山内 圭(Kiyoshi Yamauchi)

1965年静岡県生まれ。浜松北高等学校に通う。1984年3月に卒業後、河合塾豊橋校大学受験科に入塾。1985年横浜国立大学教育学部に合格。1991同大学大学院修士課程修了後、東海大学などの非常勤講師を経て1995年新見女子短期大学(現在の新見公立短期大学)専任講師となる。2010年新見公立大学教授に就任し英語教育に従事するとともに、新見市国際交流協会理事としても活躍中。

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