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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.90 (2016年3月2日公開)

皆で助け合って一緒に合格しようと
切磋琢磨した寮生活の日々。
35年を経て「大同窓会」も開催しました。

朝日新聞社
ブランド推進本部 マーケティング部長
清登 哲也さん

大学受験科

株式会社朝日新聞社 ブランド推進本部 マーケティング部 部長 清登 哲也さん

友人との会話が、偏差値重視の大学選びを見直すきっかけに

──河合塾に通うようになったきっかけからお聞かせください。

清登 高校1・2年生のときの成績は好調だったのですが、3年生になって周囲の成績が急激に伸びていくのに対して、私は伸び悩みの状態に陥りました。けっして怠けていたわけではなく、真面目に勉強は続けていたのですが、やや自信を失い、スランプを感じ始めた頃に、受験本番を迎えてしまいました。共通1次試験(現・大学入試センター試験)で期待していたような得点をあげることかできず、第一志望よりもランクを落として大学を受験したのですが、私より下位の成績の同級生たちがたくさん合格する中で、私は不合格でした。受験した大学の出題傾向をほとんど知らないままに受験当日を迎えたことが原因だったと思います。結局、クラスで進路が決まらなかったのは私だけで、卒業パーティーは「清登を励ます会」のような趣になりました(笑)。

 河合塾に入ることは、担任の先生と両親が相談して、半ば強制的に決めていました。生徒会や学級委員を務め、中学からバレーボール部に所属しており、友人に恵まれた学校生活でした。東京や関西の大学には、そんな友人たちが数多く入学しています。遊びに誘われる可能性が高く、受験勉強に集中できないのではないかと心配されたようです。たまたま名古屋の大学には、親しい友人がいなかったので、担任の先生が河合塾の入塾認定テストを受ける手続きまでしてくださり、私としてもとく特に異存はなかったため、河合塾千種校の「名大選抜M1クラス」に入ることにしました。

──河合塾で印象に残っていることは何でしょうか。

清登 寮生活がいい思い出になっています。寮ではまさに同じ釜の飯を食べて、自習室で一緒に勉強して、苦楽を共にします。きわめて濃密な人間関係が築かれていきます。その中で、人生の転機といっても過言ではないさまざまな体験をすることができたのです。

──寮生活のエピソードを教えてください。

清登 数年ぶりに流星群が観測できる日があり、皆で近くの高台まで歩いて行き、芝生の上で流星群を眺めながら、将来の夢を語り合ったことをよく覚えています。そのとき、同じ名古屋大学志望の仲間から「自分は将来、原子力を勉強したい。だから原子力分野の研究が充実している名古屋大学工学部を志望している。清登君が名古屋大学経済学部志望なのは、何を学びたいからなのか、将来どんな職業に就きたいと思っているのか」と問われ、衝撃を受けました。それまでの私の大学選びは、自分の偏差値に見合う大学を探していただけで、成績が伸びれば、もっと偏差値の高い大学にすればいいといった単純な考え方だったからです。大学で学ぶ内容や、将来の仕事との関連まで視野に入れていなかったのです。明確な夢を語れない自分にもどかしさも感じました。とりあえず「将来は商社マンになりたいと思っている」と答えると、その友人はさらに「商社マンになるための最適な勉強ができる大学を調べたことがあるのか。本格的に経済・経営を学ぶのなら、関東では一橋大、関西では神戸大がいいのではないか」と教えてくれました。それから、真剣に各大学の教育内容を調べ、比較検討しました。そして、名大選抜M1クラスに在籍していたにも関わらず、神戸大学経営学部志望に変更することを決意しました。友人との会話によって、大学の選び方を見直すきっかけになったことは、私にとって大きな収穫でした。

 寮生同士仲がよく、皆で助け合って一緒に合格しようという雰囲気もありましたね。河合塾の運動会では、団結心を示すために、寮の名前のロゴが入ったトレーナーを作って参加したほどです。大学入学後、さらには社会人になってからも、寮仲間との交流は続き、昨年は、卒業35年目を記念して、「大同窓会」を開催しました。

寮の仲間に教えることが基礎基本の再認識につながる

──河合塾で印象に残っている授業はありますか。

清登 哲也さん

清登 国語の授業が印象的でした。単に文章の内容が詳細に解説される授業ではなく、作者の内面や、人生観まで縦横無尽に語られます。学問に興味を持たせるような奥深い授業で、とても楽しみにしていました。最後の授業で、先生が「命短し、恋せよ乙女」を朗々と歌われ、「受験勉強頑張りなさい」ではなく、「君たちの人生はこれからだ。たくさん恋をしなさい」と語られたことも感動的でした。

──成績は順調に伸びていったのですか。

清登 ええ。この河合塾の授業で、苦手だった国語が好きになり、自主的に勉強するようになったことが大きかったと思います。

 また、当時の名大選抜M1クラスでは、模試ごとに成績順に席替えが行われていました。次のクラスに落ちずに、M1クラスに在籍し続けられれば、名古屋大合格は確実といわれていましたから、相当な緊張感がありました。ライバル視している友人よりも後ろの席にならないようにと、お互いに切磋琢磨することが、受験勉強を続けるモチベーションにもなりました。

 それから、私にとって効果的だったのが、寮の自習室での学習です。寮では夜8時以降は他の部屋の訪問が禁じられていたのですが、自習室で一緒に勉強することは認められていました。試験のたびに、成績優秀者は寮の玄関に貼り出されており、私は常に載っていたので、友人たちからよくわからないところを質問されることもありました。私にも頑張っている仲間たちの役に立ちたいという気持ちがあり、得意な教科を教えていたのですが、これが高校時代後半のスランプから脱出し、成績が再上昇する契機になったのです。得意な教科ほど、応用問題や難問ばかりに手を出しがちです。それがスランプの原因でもあったと思います。けれども、他人に教えるとなると、その人がつまずいた基礎基本にまで立ち戻る必要があります。結果として、自分の頭の中で基礎を再認識することができたのです。基礎の大切さをあらためて感じました。

──あらためて、神戸大学経営学部を志望した理由をお聞かせください。

清登 先ほど申し上げたように、さまざまな大学の教育内容を調べる中で、東京高等商業学校を起源とする一橋大学と、神戸高等商業学校を母体とする神戸大学が、日本における経済・経営教育・研究の先駆けであり、専門的な学びが期待できると考えました。雑誌の「社長の出身大学ランキング」で、神戸大学が上位に入っていることも魅力でした。六甲台第一キャンパスに草創期からの経済学部、経営学部、法学部があり、周辺の環境も素晴らしいと感じたのです。経済・経営系の学問分野の中でも、マーケティングに最も興味があったことから、経営学部をめざすことにしました。

まだ解明されていない課題に取り組むように指導された流通システム論のゼミ

──大学時代に力を入れたことはありますか。

清登 雪国・富山育ちで、もともとスキーが得意だったため、スキー同好会に入り、1級を取得しました。

 授業で最も楽しかったのは、田村正紀教授の流通システム論のゼミです。神戸大学経営学部の中でも一番人気のゼミで、3倍の倍率で選考が行われました。先生の方針は「学業成績優秀者」「体育会クラブ所属者」「先輩ゼミ生の面接や書類でユニークなキャラクターと認められた学生」それぞれから5名ずつを選抜するというものでした。社会、企業は、そうした多様なタイプが集まって成り立っており、ゼミもその縮図のような構造にした方が活性化するというお考えだったようです。私はどの枠で選抜されたのかよくわかりませんが(笑)、幸いこのゼミに入ることができました。ゼミでは、教科書はなく、毎回、先生が提示するタイムリーなテーマについて議論する形で展開されます。たとえば、ホンダからシティーという自動車が新発売された頃で、それに対抗する若者向け自動車のアイデアをテーマとして与えられたことがあります。市場調査をしたうえで、皆でデザインや機能を議論するのは、とても楽しい時間でした。

──卒業論文はどんなテーマに取り組まれたのですか。

清登 先生からは、先人の理論や歴史をなぞるような卒論は厳禁で、誰もチャレンジしていない課題に、フィールドワークを通して取り組むように指導されました。私は、スキー同好会に所属していたこともあって「日本における理想のスキー場」をテーマに選びました。そのために、アルバイトをして、海外のスキー場を3カ所視察し、学生対象のアンケート調査も実施しました。その結果、それまでの主流だった同じスキー場に連泊する形ではなく、エリア内を移動しながら泊まる場所を変えるスタイルを提案しました。その方が、バラエティーに富んだコースが楽しめると考えたからです。先生からはユニークなアイデアだと評価され、リゾート会社への就職を勧められたほどです。

保護者が自分の学生時代や仕事の話をすることも大切

──新聞社を就職先に選んだ理由は何ですか。

清登 就職活動を始めたとき、あまり興味がなかった業界で、最新の業界情報や技術に触れる機会がありました。就職活動は多様な世界を知る絶好の機会だと感じ、その後は自動車、電鉄、銀行、商社、建設など、業種を限定せず、200社近くの会社を訪問しました。最終的に、マーケティングに定評のある食品会社から内定を得ることができました。ところが、朝日新聞社の神戸大学OBが、ゼミなどで業界説明会を行っており、そのときの私の質疑応答の様子が印象に残ったからか、両親に直接電話が入りました。新聞社に向いているから、ぜひ入社試験を受けるように説得してほしいということでした。そこであららためて、朝日新聞社を訪問したところ、上層部に神戸大学OBが多いことを知るとともに、これからの新聞社ではマーケティングの重要性が高まるといわれ、入社試験を受けることにしたのです。

──これまでの仕事のご経歴を紹介してください。

清登 入社以来、一貫して販売局で働いてきました。販売店の経営相談に応じたり、販売促進のプランを考えたりといった業務が中心です。その後、2013年4月、ブランド推進本部マーケティング部が新設されることになり、初代の部長に就任しました。新聞離れが進行している中で、大きなネックになっているのが消費税です。10年以上価格を据え置き、月額3000円台を死守してきましたが、消費税率アップで、4000円台に突入し、顧客離れを食い止めるために、販売の現場を知っている私に白羽の矢が立ったわけです。現在は、さまざまなマーケティング調査を行い、その分析結果をもとに、記者が読者に読んでほしい記事と、読者が読みたいと思う記事のギャップを埋める方法を検討するのが主な業務です。もちろん、読者の嗜好に迎合すればいいというものではありません。けれども、記者が本当に伝えたい記事が、読んでもらえないとしたら、やはり大きな問題で、見出しや図版などを工夫することも大切になります。それを編集と販売が一体となって考えることで、朝日新聞ならではのブランド力を強化したいと考えています。

──これまでのご経歴の中で、河合塾で学んだことが役立っていると感じていらっしゃることはありますか。

清登 マーケティング部には、記者、広告、販売、システムなど、多様な部署の出身者が集まっています。それぞれのバックボーンによって考え方が異なる面も少なくありません。それでも、調和の精神を持って、1つの方向性をめざすことが重要になります。そうした協調性の大切さは、河合塾の寮生活においても共通するものだったと感じています。

──これから大学受験をめざす後輩たちに、アドバイスをお願いします。

清登 繰り返しになりますが、大学選びの際には、偏差値よりも、学ぶ内容を重視することが肝心です。現在はインターネットなど、情報の入手も容易になっていますから、ぜひよく調べてほしいと思います。できれば、志望大学の学生やOBに直接話を聞く機会を設けるといいでしょう。こんな専門的な勉強をしたいという明確な目的意識が生まれれば、受験勉強のモチベーションも高まります。

──最後に、保護者に向けてメッセージをお願いします。

清登 自分の学生時代や、仕事の話をするのもいいと思います。私は、娘とテレビCMを見ているときに、このCMは何を目的にしているのかなど、マーケティングの基礎に関する話をするようにしていました。また、ゼミの楽しいエピソードを話題にしたこともあります。それによって、娘はぜひ同じような勉強がしたいと言い出し、私の母校である神戸大学経営学部に入学しました。もちろん、保護者と同じ分野に興味を持たないケースもあるでしょう。その場合は、知人の中から、子どもが興味・関心のある分野に関係する人を探し、出会いの機会を与えることも、保護者の役割なのではないでしょうか。

清登 哲也さん

Profile

清登 哲也(Tetsuya Kiyoto)

富山県生まれ。富山県立砺波高校卒業後、河合塾千種校大学受験科に1年間在籍。1981年神戸大学経営学部入学。1985年株式会社朝日新聞社に入社。30年近く販売局に勤務後、2013年ブランド推進本部マーケティング部の初代部長に就任。大学での学びを生かし、ブランド向上に向けた調査、分析、施策立案のマネジメントを行っている。

大学受験科

高卒生および大学受験資格を有する方を対象とした大学合格を目標とするコース。クラスは志望大学やレベル別に分かれ、効率的なカリキュラムが組まれています。

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