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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.95 (2017年8月8日公開)

歴史を単に知識として学ぶのではなく
人生や仕事に生かすことが大切という教えが
報道の道を志す原点になりました。

NHK大阪放送局 報道部
記者
泉谷 圭保さん

高校グリーンコースOG

NHK大阪放送局 報道部 記者 泉谷 圭保さん

日本史の授業で先生が語ったエピソードをテキストに書き込む勉強を続けた

・・河合塾に通い始めたきっかけから教えてください。

泉谷 高校3年間、横浜校の高校グリーンコースで学びました。母校の清泉女学院の先輩や同級生の多くが河合塾に通っていたので、何の迷いもなく選んだ感じです。

・・印象に残っている授業はありますか。

泉谷 3年間教わった石川先生の「早慶大日本史」が大好きでした。ジョークを交えて、さまざまなエピソードが縦横無尽に語られる授業でした。受講生は皆、先生のファンになり、早めに教室に行き、競って前の方の席を取り合うのが常でした。先生の言葉を聞き漏らすまいと必死にメモをとるのですが、その場で書き取れる文字量は限られています。そこで、自宅に帰ってから必ず、その日のうちに先生の言葉を思い起こしながら復習していました。それまで日本史の勉強は暗記が多く、教科書を読んでもなかなか頭に入らず、苦痛を感じていました。ところが、石川先生の授業は、脇道の雑談のようでいて、それを笑いながら聞いているうちに、本筋である歴史の流れが深く理解できるという内容でした。復習する際、先生が語られたさまざまなエピソードを、テキストの関連する部分に書き込む作業を続け、最後にはテキストが書き込みで真っ黒になったほどです。それによって、無味乾燥に感じていた出来事や、歴史上の人物がリアルな存在として浮かび上がってくる感覚を味わえ、日本史の勉強がどんどん楽しくなっていきました。日本史の知識を教わっただけでなく、将来の生き方を教えてくれる授業でもあったと思います。

・・それはどのような意味ですか。

泉谷 先生が繰り返し言われたのが「自分の生き方を見つけなさい。知識を身につけただけでは意味がない。知識を自分の人生や仕事にちゃんと使えるようにすることが大切だ」ということです。それも、「真っ当に生きなさい」といった道徳的な言葉を押し付けるのではなく、共感できる表現と雰囲気で伝えてくださいました。たとえば、先生は、突然、真緑のスーツで登場するなど、服装が個性的で、人生を楽しんでいる様子を体現されていました。先生は学生時代には必死で勉強し、苛烈な序列争いの中でもがいた時期もあったそうですが、それを乗り越えた先で、教師という天職を見つけ、遊びの部分もしっかり取り入れていらっしゃいました。先生の姿を通じ、生き方や知識との付き合い方を教えていただいた気がします。

・・他の授業の思い出はありますか。

泉谷 高2・3のとき、英語の授業も受けました。私は、6歳から小4までニュージーランドで過ごしたため、英会話には不自由しませんでした。けれども、大学入試の長文読解問題では、まったく異なる英語力が要求されます。知らない単語の意味を類推しながら、短時間で大意を掴む方法を、体系的に教わったことが役立ちました。私が受験する大学の出題傾向を踏まえた上で、「こういうタイプの長文を数多く読みこなしなさい」と、適切なアドバイスをいただいたことにも感謝しています。

自習室で真剣に勉強している周りの姿に刺激を受けた

・・そのほか、河合塾に通って良かったと思っていることはありますか。

泉谷 圭保さん

泉谷 高校の友人たちは、女子校だったこともあり、相応に切磋琢磨はしているものの、慣れ親しんだ関係で、和やかな空気が流れていました。その人間関係の中でほっこりする時間も大切でしたが、受験生として気合を入れる必要もありました。そこで、私が活用したのが河合塾の自習室です。自宅や図書館で勉強するよりも集中でき、1日中、自習室に入り浸っていたことも少なくありません。自習室では、さまざまなトップ進学校に通う、普段接することのない高校の生徒たちが脇目も振らずに勉強していました。そんな真剣な姿に刺激を受けました。また、自習室には高卒生も多く、息抜きに話をするときに、その人の得意科目の勉強法をアドバイスしてもらったり、解いた方がいい問題を紹介してもらったりなど、情報交換の場としても有意義でした。

 大学生チューターにも本当にお世話になりました。難しい問題集と格闘する日々に息切れして、心が折れそうになったとき、志望校の慶應義塾大学の大学生チューターに、キャンパスライフの話を聞くのを楽しみにしていました。そんなキャンパスライフを送るために頑張ろうと、受験勉強のモチベーションをキープする上で、とても貴重な機会だったと思います。スランプの時も、「チューターにこんな質問をするつもりだった」と、受験勉強を続ける気持ちを奮い立たせてくれる存在でした。

戦争の犠牲になり、忘れ去られようとしている人々の痕跡を探す旅を続けた大学時代

・・慶應義塾大学を志望された理由は何ですか。

泉谷 高校で所属していた文芸部の憧れの先輩が、慶應義塾大学に入学しており、「泉谷さんも頑張って慶應に来なさい」と励まされたことから、慶應志望になりました。第一志望の文学部は不合格で、合格すると思っていなかった法学部政治学科に入学しました。

・・大学時代に力を入れたことはありますか。

泉谷 受験勉強で身体が鈍っていたので、大学に入学したら、身体を動かす活動がしたいと思い、競技ダンス部に入りました。始発電車に乗って朝練に行き、競技会にも出場するなど、部活動中心の学生生活を送っていましたが、時間の使い方を見直す必要を感じ、2年生の終わりとともに退部しました。

とはいえ、このままではエネルギーを持て余します。何か自分なりに熱中できるものを見つけようと考えました。そんなとき、大学の掲示板で、ポーランドのワルシャワ経済大学で、1週間の短期交流プログラムが実施されることを知り、さっそく応募して、参加しました。その際、アウシュビッツ収容所を見学し、強烈な衝撃を受けました。芝生で休憩していたら、そこに碑があり、「この場所の下には、数多くの方々の亡骸が眠っています」と書かれており、慌てて立ち上がったことを覚えています。収容者がガス室に送られる直前まで過ごしていたバラックでは、自分の名前を刻んだ生々しい爪痕が残されており、それを指でなぞり、往時に思いを馳せました。以前、生き残った精神科医が書いた『夜と霧』という本は読んでいましたが、文字の世界ではなく、柱の爪痕の形でしか生きた証を残せなかった人々の思いがリアルに迫ってきました。そのとき、「歴史を知識として学んだだけでは意味がない。それをどう自分の人生に生かすかが大切だ」という石川先生の言葉が蘇りました。このときに自分が実際に見て触れて感じたことを伝える仕事、報道の道に進みたいという気持ちが芽生えたのだと思います。その後は、アルバイト代を貯めて、カンボジアのキリングフィールド、ベトナムの枯葉剤の影響を今に伝える歴史資料館、アメリカのホロコースト歴史博物館などを巡りました。結果的に大学時代の後半は、戦争の犠牲になり、忘れ去られてしまう人たちの痕跡を探す旅を続けました。

・・卒業後は希望通り、NHKに入社し、報道に関わってこられたのですね。これまでの主な仕事の内容を紹介してください。

泉谷 圭保さん

泉谷 最初の6年間は山口に赴任し、警察取材から始め、市政担当、遊軍などを経験しました。山口からは釜山行きの船が出ており、横浜の実家に帰省するよりも近い感覚で、韓国通いを始めました。そして縁あって国際部に異動しました。4年間、朝鮮半島担当として、主に北朝鮮の核問題、有事関連のニュースをウォッチしていました。またそのかたわらで、韓国で財閥が牛耳る社会構造のもとで、貧困層が立ち上がれない状況などの社会問題を扱った番組なども制作しました。その後、アメリカのアジア政策を取材するために、2年間、ワシントンに赴任し、国務省を担当しました。当時のヒラリー・クリントン国務長官への単独インタビューが一番思い出に残る仕事となりました。アメリカの国務省では、平日毎日1時間以上、ブリーフィング(記者会見)があったのですが、アメリカの通信社や主なテレビ局はもちろん、アジア勢からも中国やインドの記者が、積極的に質問する姿勢に圧倒されました。国際社会で埋没しないよう、日本の記者も負けぬよう手を上げていかないといけないなと痛感しました。帰国後は英語ニュースを放送する部署に所属し、37歳で出産しました。2年前から、家庭、育児との両立を図りやすいように、夫が勤務している関西に移り、現在は大阪市政担当として、大阪市役所の記者クラブに詰め、行政のニュースを中心に取材をしています。関心を持ったテーマを掘り下げる番組取材も担当することがあります。保育園に子どもを預けて働く母の1人として、保育の現場に関心があったのですが、待機児童問題では数の確保ばかりが先行しているように感じていました。そこで、保育の質が蔑ろにされている具体的なケースを紹介し、保育の質の向上に向けて何が必要かを考える番組の取材を同僚と続け、ことし6月に放送しました。

・・今後の仕事の目標をお聞かせください。

泉谷 一児の母になったこともあって、子どもが生きやすい社会、女性が働きやすい社会への関心が強くなっており、今後も追いかけていきたいと考えています。視聴者と問題意識を共有し、社会が少しでも良くなるようなニュースを発信していきたいですね。

受験勉強の試練を乗り越えた先に、自分のやりたいことを見つけよう

・・これまでの経歴において、河合塾で学んだことが役立っていると感じていることはありますか。

泉谷 石川先生の授業を通して、過去の出来事の延長線上に現代社会があり、そこに歴史を学ぶ面白さがあることを体感しました。社会で起きている様々な出来事や世相の見方を教わったと感じています。

また、先生の授業で、相手の腑に落ちるように伝える力の奥深さにも触れました。先生は、生徒たちに歴史の出来事を「自分事」として捉えさせてくださいました。私は、普段から、視聴者が、自分には関係ないと思ってしまいそうなことでも、いや、もしかすると自分にとって大切なことかもしれないと気づいてもらえるような伝え方を目指していますが、その意識の原点も石川先生の授業にあった気がします。

・・河合塾の後輩たちへのメッセージをお願いします。

泉谷 何のために受験勉強をしているのかという問いにぶつかることは誰にでもあると思います。明確な目的が見つからず、受験勉強から逃げ出したくなることもあるかもしれません。それを避けるためには、試練を乗り越えた先に自分でやりたいことを見つけることが大切ではないかと感じています。できればつきたい職業まで具体的に考えると、目標を実現するために勉強が必要だという能動的な意欲がわいてくると思います。

・・お子さんの教育について心がけたいと思っていることはありますか。

泉谷 現代社会は不透明で、テキストもマニュアルもない時代になっています。今までのように、難関大学に入学し、評判の良い企業に就職すれば、一生安泰なわけでもありません。自分の人生にビジョンがなければ、迷子になりかねないという危機感を感じています。そんな混迷の時代を生き抜くには、好きなことを見つけることがこれまで以上に大事な気がします。どんなことでもいいので、興味を持ったことをトコトン突き詰めていけば、どの分野にも通じる哲学が見えてくる気がします。ですから、子どもに好きなことができたら、それを応援し、後押しできる親でありたいと思っています。

泉谷 圭保さん

Profile

泉谷 圭保(Kaho Izumitani)

1976年東京都生まれ。清泉女学院高等学校在学時、河合塾横浜校の高校グリーンコースに通う。卒業後、慶應義塾大学法学部に入学。2000年NHKに入局。山口放送局を経て、2006年から4年間報道局国際部。その後、ワシントン支局に駐在し国務省を担当。帰国後は育児休業を経て、英語ニュースを放送する部署を経て現在は大阪放送局で大阪市役所担当や子育て、教育関連の取材を続ける。

高校グリーンコース

高校生を対象とした志望大学現役合格を目標とするコース。学力や学習状況にあわせて受講できるカリキュラムで、高3になるとより実践的な講座も用意しています。

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