「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.4 (2008年8月公開)
- 教育・研究者
- デザイン・アート関連
- 河合塾美術研究所
短編アニメーション作家として独り立ちするうえで<br />土台となるデッサンの基礎力を<br />鍛えてくれた河合塾美術研究所
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アニメーション作家
東京藝術大学大学院 教授山村 浩二さん
- 出身コース
- 河合塾美術研究所
子どもの頃から「作り手の視点」でテレビアニメーションを見ていた
・・アニメーションに興味を持たれたのはいつ頃からですか。
幼稚園、小学校低学年の頃は、『タイガーマスク』『もーれつア太郎』などをよく見ていました。子どもがテレビアニメーション好きなのは、ごく当たり前のことかもしれませんが、私が回りのみんなと少し違っていたのは、視聴者の立場ではなく、作り手の視点から見ていたことです。物心ついた頃から絵を描くのが大好きだったこともあって、どんな道具、手法を使えば絵が動くのか、アニメーションの原理そのものに興味を持っていました。
鈴木伸一さん(アニメーター)のコラムで、当時普及しつつあった家庭用8ミリのコマ撮り機能を使ってアニメーションが作れることを知り、早速、自分でも作品を作ってみたのは、中学1年生の時です。担任の先生から8ミリを借りて、三脚を用いて、絵を置いて、ライトを当てて、1コマずつ撮影。近所のカメラ店で現像して、1分半の作品を完成させ、学校の視聴覚室の映写機で再生しました。自分の作った絵が動いた時の感動は忘れられません。
・・その後もアニメーションは作り続けられたのですか。
ええ。中学校の学習発表会や、高校の文化祭などで発表しました。その作品を見て、高校時代に所属していた美術部の顧問の先生が、カナダの国立映画庁(NFB)が作成した16ミリのアニメーションを借りてきて、私に見せてくださいました。これは衝撃的な体験でした。それまで日本のマンガアニメーションにしか触れていなかったのですが、アニメーションはきわめて多様な表現の可能性を秘めていることを知ったからです。とくに刺激を受けたのが、ピンスクリーンの技法です。約10万本の細いピンをボード上に突き刺し、そのピンの長さによって、色のトーンを調整することで絵を描く技法で、あたかも木炭を用いたかのような柔らかな世界が広がっていました。私も、もっと様々な技法を身につけて、新しいタイプのアニメーションを創造したいという意欲がわきました。
好きな絵やアニメーションの話が心置きなくできた河合塾美術研究所
・・それで芸術系学部への進学を志望されたわけですか。
いえ、高校3年生の1学期までは、教育学部に進んで、美術教師になり、趣味でアニメーションを作れればいいなと、漠然と考えていました。芸術系学部に進学するのは、特殊なセンスを持った人たちであり、美術を専門的に学んでいない私にとっては敷居が高いように感じられたからです。けれども、美術部の顧問の先生に、ぜひ芸術系学部に進学すべきだと強く勧められ、美術の基礎力に自信がないのなら、予備校で勉強すればいいと、河合塾美術研究所を紹介してくださいました。
・・河合塾美術研究所に通われたのはいつからですか。
高校3年生の夏期講習から、約半年間通いました。当初はとりあえず夏期講習だけ参加するつもりだったのですが、芸術の世界をめざす個性的な人たちに囲まれ、大いに刺激を受けるとともに、居心地の良さを感じて、通い続けることにしました。中学、高校では、文化祭の発表などで目立っていましたから、いわゆる人気者的な存在ではあったかもしれませんが、何となく友人との会話がかみ合わず、自分の居場所がない感覚も抱いていました。好きな絵やアニメーションについて、心置きなく話ができる河合塾美術研究所の環境がとても気持ちよかったのです。また、それまで独学で絵を描いていましたから、ここで初めて石膏デッサン、鉛筆デッサンなどのアカデミックな基礎を学んだわけです。
・・大学に入学した後でも、デッサンの基礎は学べるのではありませんか。
ところが、そうではないのです。実は、芸術系学部では、入学時点でデッサンの基礎を身につけていることが大前提になっています。アカデミックな部分、基礎的な部分の教育は、河合塾美術研究所のような予備校が担っているのが実情なのです。また、それぐらいの力量がないと、大学では通用しません。ほとんどの学生が作家として独り立ちすることを目標に、独自の表現を志向しており、大学に入ってから基礎を勉強していたのでは立ち遅れてしまいます。大学教員側にも、学生はすでにデッサンの基礎は修得済みのはずだという意識が強いですしね。最近は実技を課されずに、小論文主体の入試で芸術系学部に入学することも可能になっていますが、やはりいざ制作に向かおうとすると、基礎が身についていないことで限界を感じることが多いようです。その意味で、河合塾美術研究所で、感性豊かな講師、友人に恵まれ、基礎力を固められたことは、私にとって貴重な学びの場だったと感謝しています。
・・現役で東京造形大学に合格され、油絵を専攻されたのですね。
絵画科(油絵専攻)を選んだのは、最も自由度が高いと考えたからです。デザイン専攻だと、グラフィックやインダストリアルなど、それぞれに明確な目的と対象があります。日本画も独特の世界に彩られています。対して、東京造形大学の絵画科は、現代美術も包含しており、幅広い表現を追求しようという雰囲気がありました。
・・実際に、大学入学後は幅広い表現を学ぶことができたのですか。
インスタレーションなどのビジュアルアートを研究したり、パフォーマンスとの合体を模索している学生もいました。私も、そんな周囲の多様な方向性に影響を受けて、やはり自分ならではの個性を発揮できるのはアニメーションだという思いが強まり、卒業制作では、粘土を用いたアニメーションに取り組みました。
・・どのような作品を制作されたのですか。
大学ではアニメーション研究会に入り、2年生の時に「広島国際アニメーションフェスティバル」を見に行きました。このフェスティバルで審査員を務めていたのが、世界的アニメーション作家のイシュ・パテル氏でした。パテル氏は、粘土を敷きつめて、下から光を当て、粘土の厚みで濃淡をつけることで、ステンドグラスのような美しい映像を創造する作家です。私は今でもパテル氏を師と仰いでおり、卒業制作でも同様の手法の作品に挑戦しました。
文学でいえば和歌に通じる短編アニメーションの世界
・・今後、どのような作品を創造していきたいとお考えですか。
未だに満足できる作品は作れていません。自分の理想形、完成形とはほど遠いというのが正直なところです。
・・山村さんにとっての理想形とは?
理想形が言葉で表現できるようなものならば、作品を作る必要もないわけで……。漠然と抱いているイメージに向かって、常に模索している状態です。1つの作品を仕上げると、すぐに次の課題も浮上してきます。その意味では、創造の可能性は無限大だともいえますね。これからも短編アニメーションにこだわって、作品を作り続けていきたいと思っています。
・・長編アニメーションを作りたいというお考えはないのでしょうか。
長編と短編ではまったく異なるジャンルです。単に時間の長さが違うだけでなく、表現様式が異なります。文学を例にとると、和歌・俳句と長編小説ぐらいの違いがあり、文法も言語も異なるのです。それぞれの魅力があるわけで、私は短編を志向し続けていきたいですね。
・・最後に、クリエイティブな世界を志そうとしている後輩たちに向けて、メッセージをお願いします。
大学入学前は、めざすジャンルを絞り込みすぎず、自分の可能性を幅広く捉えるようにしておいた方がいいと思います。そして、幅広いジャンルに対応できるようにするためには、何よりも基礎力の養成が重要になります。目先の入試だけを見て、ある種のスキル、テクニックを修得しても意味がありません。確かに、基礎の学習は単調でつらい面もありますが、将来、クリエイティブな仕事をするうえでは不可欠です。そのことは、私自身、日々の仕事を通して痛感していることでもあります。どんなに独創的なアイデアが浮かんでも、作品として仕上げるためには、基礎力が必要になるのです。私にとっては、刺激的な環境の中で、基礎の学習を、強制されたものではなく、やりがいを感じながら学べた河合塾美術研究所時代が、今の土台を築いてくれたことは間違いありません。
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山村 浩二(Koji Yamamura)
1964年愛知県生まれ。名古屋市立桜台高校時代から、河合塾美術研究所に通い、東京造形大学に現役合格。卒業後、ムクオスタジオを経て、ヤマムラアニメーション設立。世界4大アニメーション映画祭(アヌシー、ザグレブ、オタワ、広島)でグランプリを受賞するなど、日本を代表する短編アニメーション作家の1人。主な作品に『頭山』『カフカ田舎医者』などがある。現在、東京造形大学客員教授、東京藝術大学大学院教授。
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