「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.12 (2009年4月公開)
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多感な時期の海外生活を通して<br />何を得たかを自分なりに咀嚼した上で<br />次のステップに踏み出すことが大切です。
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株式会社毎日放送
アナウンサー河田 直也さん
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海外への憧れからカナダのインターナショナルスクールに進学
・・河合塾の海外帰国生コースで学ばれたわけですが、海外で過ごされたのはいつ頃ですか。
神戸出身で、地元の公立中学を卒業後の9月に、カナダ・ケベック州の全寮制の私立中高一貫校(インターナショナルスクール)に進学しました。
家族の仕事の都合ではなく、進学を決断したのは自分自身の意思です。それほど明確な目的意識があったわけではありませんが、漠然と海外への憧れがあり、また、得意だった英語力をより強化したいという思いもありました。
ところが、英語力には自信満々だったにも関わらず、海外ではまったく通用しないことに愕然としました。そのため、インターナショナルスクールの中学3年次に編入することにしました。何とか日常会話がこなせるようになるまでには1年ほどかかりました。
・・そのまま海外の大学に入学するのではなく、日本の大学を選ばれた理由は何ですか。
友人の多くはカナダかアメリカの大学への入学準備を進めていましたから、私も相当に悩みました。帰国を決めたのは、当時は、将来、日本の商社かメーカーで働きたいという希望を持っており、そのためには、日本の大学で学んだ方が近道なのではないかと考えたからです。
私が在籍していたインターナショナルスクールには、さまざまな国の生徒がいました。多様な文化、宗教、政治・経済情勢をバックボーンとする友人たちが集まり、自国の立場を明確に主張しあう雰囲気の中で過ごすことによって、私も日本人であることを誇りに思い、日本のことをもっと大切にしたいという気持ちが自然と芽生えていきました。そうした海外において肌で感じた体験を持ち帰って、少しでも日本の役に立てるような人間になりたい。そんな思いが強まったことが、帰国を決意した理由です。
個性的な仲間たちと濃密な人間関係を築けた
・・帰国後、河合塾の海外帰国生コースを選択された理由は何でしょうか。
日本の高校に通っていれば、担任や進路指導の先生から、入試に関する情報は容易に得られるはずです。けれども、私はゼロからのスタートといった感じで、何をすればいいのか、暗中模索の状態で、とても不安でした。そこでいろいろ調べたところ、当時はまだあまり設置する予備校が少なかった海外帰国生対象のコースが、河合塾に設けられていることを知り、通うことにしたのです。入試ではどんな科目が課されるのか、合格するにはどんな勉強が必要なのか、詳細な情報を得ることができたとともに、私と同じような立場の仲間がたくさんいることがわかり、大いに心強かったですね。
・・印象に残っている授業はありますか。
大学によって若干異なりますが、帰国生入試(文系)では、一般的に英語、小論文、面接の3科目が課されます。その対策学習を重点的に行うカリキュラムが編成されていました。とくに役立ったのが小論文指導です。それまで日本語でまとまった分量の論理的な文章を書くトレーニングをしていなかったのですが、文章の組み立て方の基本から丁寧に教えてもらうことができました。日本の現状を理解するための時事問題の授業もあり、これも小論文や面接にプラスになったと思います。また、英語に関しても、話す・聞く能力には自信がありましたが、文法は体系的に勉強していなかったので、有意義でした。
・・帰国生入試に合格できたポイントは何だったと思いますか。
高校時代は多感で、乾いたスポンジのようにさまざまなものを吸収できる時期です。その時期に、日本人でありながら、海外で過ごしたことによって、何をつかんだのか、明確にしておくことが重要です。私は、先ほど申し上げたように、日本人としてのナショナリティーを体得したことが、海外生活の収穫だったと考えており、その思いを核として、小論文や面接に臨んだことが、合格できたポイントだったと思っています。
・・そのほか、河合塾時代の思い出をお聞かせください。
私は中学3年次から高校3年次までの4年間をカナダで過ごしましたが、回りの友人たちの中には、10年以上の海外生活を経験した人も少なくありませんでした。ネイティブスピーカーに近い友人も多く、クラスでの会話は半分ぐらい英語でコミュニケーションを図っていたほどです(笑)。それだけ海外生活が長いと、考え方もどこか日本人離れしていて、とても個性的な仲間に恵まれました。授業中だけでなく、遊ぶときも含めて、いつも一緒で、濃密な人間関係を築くことができましたね。
世界を舞台とした活躍が目立つ帰国生コースの仲間たち
・・立命館大学の政策科学部に進学されたのですね。
政策科学部は、特定分野のスペシャリスト養成が目的ではなく、ジェネラリスト養成をめざしている学部です。私は多様な学問分野に興味を持っていたので、自分に向いた学部だと思い、受験することにしました。実際に大学では、経済、経営、政治、語学、コンピュータなど、幅広く学ぶことができました。
・・アナウンサーになりたいと思われたきっかけは何ですか。
就職活動を開始した当初は、大手メーカーか商社に入って、海外赴任も経験できるような仕事をしようと考えていました。そうした会社を受ける前に、テレビ局で入社試験が早めに実施されることを知り、記念受験というか、「腕試し」の意味で挑戦することにしました。本来希望していたわけではありませんから、アナウンサー学校にも通っていません。合格するはずがないという軽い気持ちだったのですが、在京キー局でカメラテストまで残り、その局は最終的には不合格でしたが、もしかすると自分には可能性があるのではないかと思うようになり、「これが最後、もしダメだったら、当初の予定通り、商社とメーカーの入社試験に専念しよう」と受験した毎日放送に合格したのです。
・・アナウンサー試験というと相当な高倍率ですが、合格できた要因は何だったとお考えですか。
それが未だにわかりません(笑)。大学時代にラグビー同好会に所属しており、スポーツアナウンサーをめざしたいと語ったのですが、それが当社のニーズに合致していたということなのでしょう。
入社後の3年間は、希望通り、プロ野球、高校野球、高校ラグビーなどの実況中継を担当。その後は情報番組に転じて、リポーターや、スタジオのMCなどを務めています。
・・アナウンサーの仕事でやり甲斐を感じるのはどんなところですか。
以前、年配の女性から、達筆な文字で励ましの手紙をいただいたことがあります。その方は寝たきりで、私が担当している情報番組をいつも見てくださっているそうで、「自分は外出できない身体だけれども、河田さんの中継を見て、一緒に外を出歩いているような気持ちになれます」と書かれていました。自分の仕事を楽しんでもらえ、役に立っているということが実感でき、意欲がわきました。
・・河合塾で学んだことがその後の人生で役立っていると感じられることはありますか。
海外帰国生コースの仲間たちとは、今でも連絡を取り合っているのですが、自分の経験を生かせる仕事に就いている人が多いことに驚かされます。先日、ある著名な海外アーティストの取材に行ったところ、そのアーティストの担当者が仲間の一人でした。そのほか、大手メーカーや商社の海外事務所で働いている友人もたくさんいますし、ベンチャー企業を立ち上げた友人もいます。そんな活躍ぶりを目の当たりにすると、もっと頑張らなければという刺激剤になっています。
・・海外帰国生コースで学んでいる後輩たちにアドバイスを送ってください。
せっかく多感な時期に海外で過ごしたという貴重な体験を有しているわけですから、その体験で得たことは何か、意識的にきちんと振り返って、咀嚼することが大切です。それが次のステップに進む糧になってくれると思います。
・・最後に、保護者の方々へのメッセージをお願いします。
若輩の身で偉そうなアドバイスはできませんが、自分のことを振り返って言えることは、両親が私のやりたいことを抑止することなく、積極的に応援してくれたことはとてもありがたいことだったと思っています。高校生を単身で海外に送り出すのは、かなり勇気のいることだったでしょう。そういう度量を持っていてくれたことに、とても感謝しています。
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河田 直也(Naoya Kawata)
1974年兵庫県生まれ。中学卒業後、カナダ・ケベック州の全寮制の私立中高一貫校(インターナショナルスクール)に進学。1994年に卒業し、日本の大学へ進学のため帰国。河合塾海外帰国生コースを受講し、1995年立命館大学政策科学部に入学。1999年卒業後、毎日放送(MBS)にアナウンサーとして入社。現在「ちちんぷいぷい」「知っとこ!」「うたぐみ smile×songs」「ひるおび!バンバンバン」などに出演。
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