「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.54 (2012年12月公開)
- 会社員(金融・商社)
- MEPLO
座して待っていたのでは絶対に成果は生まれない!<br />難題に直面しても、できるところから「手を打つ」姿勢をMEPLOで身につけたことが社会に出てからも大きな力になっています。
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丸紅株式会社
石炭部中村 裕之さん
- 出身コース
- MEPLO
先生との議論を通して、説得力のある答案作成力が養われた
・・MEPLOに通うようになったきっかけからお聞かせください。
小学生のときから塾に通い、中学受験に挑戦しました。第一志望の開成中学に合格することはできたのですが、最後まで自分にあった塾は見つからないままでした。最初に通っていた塾は授業のレベルがあまり高くなく、難関中学をめざすには物足りないと思い、別の塾に移ったのですが、そこも相性がよくないと感じていたのです。
ですから、中学に入学したら、今度は腰を落ち着けて、6年間しっかり勉強できる塾に入りたいと考えていました。そんなとき、母の友人の子どもがMEPLOに通っていて、とてもいい教育が行われているという評判を聞いてきて、私も通うことにしました。
・・MEPLOで印象に残っている授業はありますか。
数学の授業のレベルの高さは感動的でした。学校では扱わないような解法、つまり高校や大学で教わるような解法も、問題を解く上で有効なら、中学生にもどんどん教えてくれます。また、授業で雑談のように語られた高度な数学的知識が、数カ月後に、別の分野の問題を解くときに役立っていることに気づくこともよくありました。
とても刺激的な授業でしたね。
英語では、夏期講習や冬期講習で受講した特別講座が印象に残っています。英文の雑誌、新聞などを教材として、生きた英語を学ぶ講座です。私は英語が苦手だったので、とても難解に感じましたが、中学生の早い段階から実用的な英語に触れたことが英語力アップにつながったと思います。
このように、MEPLOの授業は、本質的な学力を重視しているわけですが、高校3年生になると内容が一変します。入試本番に向けて、受験対策に特化した授業になっていくわけです。そうした現実もしっかり見据えているところが、MEPLOの魅力でもあります。
・・先生方の指導はいかがでしたか。
MEPLOの先生方は熱血漢が多く、質問に行くと、想像していた2倍も3倍も熱心に答えてくださいました。私は数学で、模範解答以外に、自分なりに思いついた別解を持って、先生に意見を求めることがよくありました。すると、自分では自信があっても、先生から「正解には到達していても、解き方にいくつかの穴がある」ことを指摘され、さらに思考力を深化させることができました。難関大学入試の数学の解答では、解法のプロセスが重視されます。採点者が納得できる解き方でなければ、完璧な答案とはいえません。先生との議論を通して、独りよがりではなく、説得力のある答案作成力が養われ、入試でも大きな武器になりました。
いい意味でのライバルに恵まれ、居心地のいい「第二の学校」のような場
・・そのほか、MEPLOに通って良かったと感じていらっしゃることはありますか。
MEPLOに通っているのは、ほとんどが中高一貫校の生徒たちでした。高校生のときは、皆、仲が良かったですね。周りより好成績をとって、見下そうなんて意識はまったくなく、全員で頑張っていこうという雰囲気があり、本当にいい意味でのライバルに恵まれました。夏休みなどでも、毎日MEPLOの自習室に集合して勉強していましたし、一緒に食事を楽しむこともありました。私にとってのMEPLOは、とても居心地のいい「第二の学校」のような場でした。あれから約10年を経た今でも、年に数回は集まって親睦会を開いています。
また、「大学生フォロー」のきめ細かなサポートにも感謝しています。「大学生フォロー」は、東大をはじめとする難関大学の学生が務めており、年齢が近いこともあって、気軽に質問することができました。苦手分野の克服や、センター試験の直前対策など、個別指導をお願いしたときも、熱心に教えてくださいました。
「大学生フォロー」として、受験生と同じ目線に立った指導を心がける
・・東京大学理科二類を志望された理由は何ですか。
高校時代、化学、とりわけ有機化学が得意だったことから、関連する分野を学びたいと考えて、理科二類を志望しました。大学入学後、ナノマテリアル、バイオマテリアルなど、時代の花形的な分野に興味が生まれ、3年次に所属学部を決めるときには、工学部マテリアル工学科を選択しました。化学とも関連のある学問ですし、今後ますます重要になる分野だという期待感があったからです。4年次には、環境マテリアルの研究室に入り、さらに大学院修士課程に進みました。
・・大学院ではどのような研究をされたのですか。
修士論文のテーマは「将来の自動車使用に関する環境性、経済性影響評価」です。いわゆるライフサイクルアセスメントと呼ばれる分野です。
・・そのほか、大学時代に力を入れられたことはありますか。
中学、高校とサッカー部に所属していたことから、大学でもスポーツをやりたいと考え、ラクロス部に入部し、4年間続けました。また大学院の2年間は大学生のコーチをやり、卒業後は社会人クラブでプレーヤーとして続けています。
また、MEPLOで「大学生フォロー」も務めました。受験を終えた直後なので、受験生がどこでつまずくのか、ミスをおかしやすいのか、よく分かっていますから、受験生と同じ目線に立って、自分なりの経験を踏まえた指導をするように心がけていました。
・・就職先に商社を選んだ理由は何でしょうか。
大学生のとき、OB訪問でさまざまな職場に行きました。その際、商社マンが最も元気いっぱいで、輝いて見えたことがきっかけです。グローバルに活躍できる業種であることも魅力的でした。丸紅を志望したのは、いくつかの発展途上国で、一定割合の発電量を保持し、その国の発展に寄与しているというエピソードに感動したからです。国家が発展するために必要不可欠な発電所をいくつも保有しているなんて、とてもスケールの大きな話だと思ったのです。
・・現在はどのような仕事をされているのですか。
石炭部プロジェクト課に勤務しています。当社はオーストラリアとカナダの炭鉱の権益を保有していますから、その管理をすることと、新規の炭鉱の獲得を計画することが主な仕事です。石炭を取り巻く情報を把握し、自分なりに分析して、他の社員とも情報を共有。その分析が石炭の市況を確かに捉えているときなどに、大きなやりがいを感じています。
大学受験では前向きな気持ちを保つことが大切になる
・・現在の仕事に、MEPLOで学んだことが役立っていると感じられることはありますか。
MEPLOの先生によくいわれた言葉で、今でも思い出すのが「とりあえず手を打て」です。たとえ分からない問題であっても、手を動かして、分かるところから考え始めることが大切だという意味でしょう。社会に出て、仕事をするようになると、何から手をつけていいのか、まったく先が見えない難題に直面することも少なくありません。そんな場合でも、私はやれるところから、とりあえず手をつける習慣が身に染みついています。それが無駄に終わる可能性もありますが、それでもいいのです。何もせず、座して待っていたのでは、絶対に成果は生まれないからです。MEPLOで身についたこの姿勢は、受験だけでなく、社会に出てからも大きな力になっています。
・・後輩たちに向けて、アドバイスをお願いします。
私は大学受験のときに、あまりつらいと感じたことはありませんでした。それは、先ほど申し上げたように、MEPLOの友人たちと一緒に頑張る雰囲気があったからです。神経質になったり、落ち込んだりしやすい時期だとは思いますが、できるだけ前向きな気持ちを保つことが大切です。そのためには、自分が合格したときの姿をイメージするのもいいでしょう。もちろん、大学受験は簡単に合格できるような甘いものではありません。努力した分の結果しか得られないことも事実です。そのことを肝に銘じて、後悔しないように頑張ってほしいと思います。
・・最後に、保護者の方々へのメッセージをお願いします。
中学受験の際、いろいろと勉強のことに口出ししてくる両親をうるさく感じていました。志望校に合格できたのは、自分が頑張ったからだとも思っていました。けれども、今振り返ると、両親の支えが大きかったことが分かります。学校選び、塾選びも、私の意見を尊重しながらも、一緒に真剣に考えてくれました。勉強するように叱咤激励してくれたことにも、今は感謝しています。中学受験で成功するには、子どもにちょっとうるさがられるぐらいの必死さが、両親には求められるのではないでしょうか。
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中村 裕之(Hiroyuki Nakamura)
1985年東京都生まれ。中1から高3まで6年間河合塾MEPLO池袋校に通う。2004年開成高校卒業後、現役で東京大学理科二類に入学。2008年同大学工学部卒業後、東京大学大学院工学系研究科に入学。2010年同大学院修士(工学)取得後、丸紅株式会社に入社。石炭部に所属し、主に海外での石炭資産の買収などの業務で活躍中。
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