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「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.68 (2014年2月10日公開)

  • 会社員(メーカー)
  • 河合塾COSMO
ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル株式会社 パワートレイン開発部 石垣 雄太さん

逆境から立ち上がってきた経験から、<br />仕事で行き詰まったときでも<br />「この程度では負けられない」と<br />自分を奮い立たせられることが強みになっています。

  • ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル株式会社
    パワートレイン開発部

    石垣 雄太さん

    出身コース
    河合塾COSMO

自動車の設計に携わりたいとの思いが生まれ、高校中退から大学をめざす

・・コスモに通うようになったきっかけからお聞かせください。

高校1年生のとき、重いアトピー性皮膚炎を患い、休学して自宅療養することにしました。翌年、留年して復学したものの、当時の私にとっては1学年下の人たちと勉強する環境はいたたまれないものであり、そのまま退学することになりました。

休学していた頃から、ガソリンスタンドでアルバイトを始めました。学校に行くべき時間に生活のリハビリを兼ねて仕事をしていたため、その年齢としてはかなりサラリーを稼げたことから、このままアルバイト生活を続けるのもいいかなと思っていました。しかし、いざ将来のことを考えると、最終学歴が中学卒のままでは、たとえ他の仕事に就きたくなっても、学歴が壁となって方向転換は簡単なことではありません。もともとガソリンスタンドでアルバイトを始めたのは、自動車に興味があったからで、その設計に携わりたいという気持ちも芽生えました。そのためには、高校生活から逃げた期間を取り戻し、大学で学ぶ必要があると考えました。大学入試を受けるために必要な大検(現在の高卒認定試験[以下同])を取得して、大学進学をめざす第一歩として河合塾コスモに通うことにしました。

仲間づくりを支援してくれたフェローに感謝

・・コスモを選んだ理由は何でしょうか。

大検取得に向けた勉強をスタートさせて、約半年間は個人経営の塾に通っていましたが、その塾は全教科をカバーできる体制ではありませんでした。親が協力してくれて探した、大検に必要なすべての教科に対応している塾を2つ見学しました。どちらかというと雰囲気がよかったコスモを選びました。

・・実際に入学して、コスモの雰囲気は期待通りでしたか。

正直なところ、慣れるまでは苦労しました。私のような境遇の生徒に共通する、特有の傾向だと思いますが、最初の頃は一人で過ごす方が楽だったのです。なかなか周りとコミュニケーションを図ることができませんでした。しかし、講師と生徒の間の垣根が低く、同じ目線で取り組もうという姿勢が感じられ、全体的な雰囲気がよかったので、期待通りだったと思います。

・・どのようにしてコミニュニケーションが図れるようになったのですか。

当時の私は、ある日突然、周囲に溶け込めていたような気がしていましたが、今、冷静に振り返ってみると、フェロー(生徒一人ひとりにつくアドバイザー)の存在が大きかったことに気づきます。フェローは教科学習のサポートや、日常生活のさまざまな相談に応じるほかに、仲間づくりを支援する役割も担っていたように思います。生徒それぞれの性格を把握して、似たタイプの生徒同士で、自然とグループができるように配慮してくださっていました。そのグループが、いわば私の居場所の“核”になったのです。そして、いったん“核”ができると、同じ授業を受けている生徒にも積極的に声をかけられるようになり、だんだん仲間の輪が広がっていきました。

自分なりに試行錯誤を重ねて「考える」姿勢が身についた数学の授業

・・印象に残っている授業はありますか。

大検対策の授業は真面目に受講し、1年目に大検を取得できました。また、コスモには大学受験用の授業もあり、数多く受講しました。コスモの生徒は、河合塾の大学受験科の授業も受講できたので、活用しました。これはコスモの大きなメリットだと思います。

コスモで今でもよく思い出すのが「数学Ⅲ」の授業です。たまたまその時期のコスモには入試で「数学Ⅲ」を必要とする生徒が少なかったため、講師と私だけのマンツーマンの授業でした。講師から提示される課題は超難問が多く、時間をかけて考えても解けない問題がほとんどでした。結局、講師から解説されるのですが、私にとっては、解説で「分かった」こと以上に、いろいろと試行錯誤して「考えた」プロセスの方が貴重だった気がします。このことは現在の仕事においても、簡単にあきらめず、粘り強く取り組むように努めるスタンスを持った礎だと思っています。社会に出て、数学の知識が役立つことはほとんどありませんが(笑)、自分なりに工夫して、多様な角度から考えようとする姿勢は、この数学の授業で培われたものだと思います。

・・そのほか、コスモに通ってよかったと感じていらっしゃることを教えてください。

「テーマ別ゼミ」が印象に残っています。学んだ内容よりも、自分と同じような境遇で、悩みを持った仲間がたくさんいることが分かり、そういう仲間といろいろと議論すること自体が楽しかったのです。当時ブームになっていた「エヴァンゲリオン」の話題で盛り上がったり、高校時代にはほとんどいなかった自動車が趣味の友人もできて、マニアックな話をしたことも、なつかしい思い出です。当時の仲間たちとは、現在でもSNSなどでつながっています。

大学時代、その後「ル・マン」でも搭載されたエンジン吸気系部品を開発

・・東海大学を志望した理由は何でしょうか。

先ほど申し上げたように、私の大学進学の目的は、将来、自動車の世界に携わるために必要な知識を習得することでしたが、コスモに入った後、その志望が揺らいだことがあります。心理学を勉強して、同じような悩みを抱えている人をサポートする仕事に就こうかと考えたことがあります。けれども、最終的には初志貫徹でいこうと決めました。そのように決められた要因は、フェローが、自動車工学の研究・教育が充実している大学をいくつか紹介してくださったことです。その中でも当時からレースを研究題材としていた東海大学工学部動力機械工学科を選びました。

・・大学では希望通り、自動車に関する研究を進めたのですか。

ええ。林義正教授の研究室の開発コースに所属しました。私が研究テーマに選んだ、エンジンの吸気量を制御する部品の開発です。林研究室は、2008年に学生グループで初めて「ル・マン24時間耐久レース」への出場を果たした研究室です。このレースには、私が基礎開発に関わった部品が搭載されており、それを知ったときは感激しましたね。

・・大学卒業後の経歴を紹介してください。

大学卒業後すぐに日産自動車に入社し、約10年間、エンジン開発部門でガソリンエンジン、ディーゼルエンジンの排気系を担当しました。2012年4月に、ニッサン・モータースポーツ・インターナショナルに出向し、SUPER GT(市販車の形状をベースとした車両で争われる自動車レース)に出場するレーシングカーのエンジン開発に携わっています。

・・今後の目標をお聞かせください。

当面の目標は、レースで勝てるエンジンを作り上げることです。エンジンは多数の部品で構成されており、どうすればドライバーが要求する出力を実現することができるのか、日々試行錯誤を重ねています。将来的には、レース用エンジン開発の経験を、さまざまな制約はありますが、できる限り市販車の開発にも生かしていきたいと考えています。

コスモの居心地の良さに安住せず、いつかは自立することの大切さを意識してほしい

・・現在の仕事において、コスモで学んだことが役立っていると感じられることはありますか。

私にとって、コスモに入学した時期は、将来が見えなくて悲観したり、他愛もないことに喜んだり、感情の波が大きく、自分が最もつらかった時期と重なります。いわば底辺にいた時期といえます。コスモで生活する中で、そこから立ち上がって大学をめざし、学び、結果として好きなことを仕事にしたという経験がありますから、仕事で行き詰まったときも、落ち込んだときにも、まだまだこの程度ではどん底といえるほどではないと、自分を奮い立たせることができるのです。コスモで過ごした時間で培われた「自分なりに考える」ということと「逆境に対する心構え」は大きな強みになっていると思います。

それから、フェローのサポートもあって、コミュニケーション力が身についたことも役立っています。コスモに入った当初は、フェローに仲間を引き合わせてもらわなければ、自分から積極的に動くことはできませんでしたが、自分の居場所ができたと感じられるようになってからは、普通にコミュニケーションが図れるようになっていきました。とても感謝しています。

・・高卒認定から大学をめざす後輩たちへアドバイスをお願いします。

コスモへ入塾したばかりの時期は、まだ自分の将来像が想像できない状況かもしれません。それでもコスモに通うと決めたこと自体に拍手を送りたいと思います。その決断が、将来を切り拓くと、私は確信しているからです。コスモは、フェローが的確なアドバイスをしてくれますし、周囲に同じような境遇の仲間もいて、快適な環境であり、自分の居場所が必ず見つかるはずです。ただし、その居心地の良さに安住しすぎてもいけません。いつかは自立して巣立っていく場だということも意識しておいてほしいと思います。

・・最後に、保護者へのメッセージをお願いします。

順調な人生を歩んできた親御さんほど、私のような挫折を味わっている子どもの気持ちはなかなか理解できないかもしれません。私の経験から、ぜひ保護者にお願いしたいのは、子どもに近いところまで目線を下げてほしいということです。自分の価値基準を子どもに押しつけても、それを受け入れられない状態の子どもも存在するのです。子どもの語ることに耳を傾け、それを認めてお互いに理解し合うことが大切になると感じています。

Profile

石垣 雄太 (YUTA ISHIGAKI)

石垣 雄太(Yuta Ishigaki)

1979年生。17歳で私立中高一貫の進学校を中退。コスモ入塾後、大検取得。1999年東海大学 動力機械工学科入学、ル・マン24h用車両を研究。大学卒業後、日産自動車株式会社入社。現在、ニッサンモータースポーツインタナショナル(株)に出向中。

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