「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.74 (2014年5月28日公開)
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やりたいことをあきらめずに考え続け、<br />見つけてほしい。<br />そうすれば受験勉強の「馬力」も生まれます。
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有田焼 窯元「しん窯」
執行役員ブランドプロデューサー藤山 雷太さん
- 出身コース
- 大学受験科
ストイックに受験勉強に打ち込める環境を求めて、北九州校を選択
・・河合塾に通うようになったきっかけからお聞かせください。
高校時代から九州大学志望だったのですが、残念ながら現役では合格できず、予備校に通うことになりました。その際、担任の先生から勧められたのが河合塾です。テキストに良問が多いからというのが理由でした。私自身も、高校生のときに河合塾の全統模試を受けて、極端に難しい問題ではないものの、基本的なところからきちんと理解していないと解けない良問が多いと感じていました。志望校に合格するためには、もう一度基本から徹底的に学び直す必要性を痛感していたので、河合塾に通うことにしました。
そのときに迷ったのが、福岡校、北九州校のいずれに通うかということです。福岡校ならば、実家の佐賀から博多まで電車で40分で通学可能ですから、便利ではあります。けれども、私はあえて北九州校で寮生活を送ることを選択しました。福岡校には母校の佐賀西高校からたくさんの同級生が通ってくることが予想され、遊びの誘惑が多いのではないかという不安があったからです。高校卒業時に不合格だったことは、自分なりにショックな出来事であり、この1年間は“勉強漬け”の日々を過ごそうと決意していましたから、ストイックに受験勉強だけに打ち込める環境を求めて、北九州校に通うことにしたのです。
・・北九州校はいかがでしたか。
期待通り、受験勉強に専念できる環境が整えられていました。よく利用したのが自習室です。私は、集中して問題に取り組みたいときは寮で、周りの頑張っている姿に刺激を受けたいときは校舎の自習室と、その日の気分や状況によって、学習の場を使い分けるようにしていました。そして、朝は6時に起床して、7時の朝食まで1時間勉強、その後授業を受けて、帰ってから夜12時まで勉強という生活スタイルを1年間守り通しました。
北九州校での1年で、一生つきあえる仲間と出会えたことも大きな財産です。河合塾に入る前は、遊ぶ余裕なんてないから、友人はつくらないと思っていたのですが、同じように必死で頑張っている者同士、自然と深い絆ができるものです。当時、寮の仲間とよく語り合ったのは、将来の夢です。そんな語らいが、精神的に追い込まれることなく受験勉強を続けていくうえでの支えになった気がします。現在でも交流が続いており、結婚式に呼ばれると、一つのテーブルが河合塾時代のメンバーで埋まることもよくあるほどです。
河合塾のテキストを信じて、それだけに絞り込んで勉強を進めた
・・授業の印象についてもお聞かせください。
河合塾の講師には、当時企業で勤務した経験のある方も少なくありませんでした。講師の方々は自身の人生経験を踏まえて、社会で起こるさまざまな話をしてくださり、それによって世界観も広がりましたし、自分の将来を考えるうえでのヒントにもなりました。
また、テキストの質も高かったと思います。受験生がよく悩むのは、やる気はあっても、どの教材でどのように勉強すればいいのか、確信が持てないということです。私は、河合塾のテキストの問題を解き、解説を読んで、「ここがわかっていなかった」という納得感が得られ、どんどん学力が伸びている手応えがありましたから、かなり早い段階から、ほかの参考書・問題集には手を出さず、河合塾のテキストを信じて、それだけに絞って勉強しました。もちろん、大学によって、出題傾向にクセがありますから、秋以降は過去の入試問題集などで傾向分析と対策学習は行う必要がありますが、それ以前の勉強は河合塾のテキストだけで十分だと思います。
・・そのほか、河合塾時代の思い出を聞かせてください。
母校から北九州校に入ったのは私一人でした。それは自ら望んだ環境ではあったものの、最初のころは話す相手が見つからず、そうすると精神的にきつくなっていきます。そんなときに、チューターによく声をかけていただいたことに感謝しています。「今日のお昼ご飯は何を食べたの?」といった何気ない会話から受験対策の話まで何でも話せる関係が築けたことで精神的に随分と助けられました。
大学入学前から抱いていたプロジェクト活動を推進するという夢を実現
・・九州大学工学部を志望した理由を教えてください。
ものづくりの世界、それも多様な人々を巻き込んで展開するプロジェクト活動に興味を抱いていました。そのきっかけになったのは、10歳のとき、両親がそれまで営んでいた靴屋をやめて、陶磁器ショップを開業したことです。まったく新しい業種に一からチャレンジするということで、周囲のたくさんの方々が協力してくださいました。書道の先生が看板の文字を書いてくれたり、デパートで働く近所の女性が梱包の仕方を手ほどきしてくださったり……。衝撃的だったのは、ショップオープンの前夜遅く、無事開店準備が整ったと、そうして協力してくれた方々が号泣して喜んでいたことです。一つのモノを協力してつくり上げるということは、大人が涙するほどわくわくするものなのだと感動し、自分も将来、そんな世界に携わりたいと考えるようになったのです。そして、高校生になって進路を選ぶ際に、何かモノをつくり上げることに携わりたい気持ちから九州大学工学部を志望しました。
・・大学時代に力を入れたことはありますか。
やはりチームで何かをつくり上げる活動したいという思いが強く、たとえば学園祭では模擬店を出店しました。サークルなどの単位で参加するのが一般的でしょうが、私たちは「ワクワクする学祭」というコンセプトのもと、老若男女、いろいろな人が来てみんながHAPPYになっていくお店を作るために、この模擬店だけの特別チームを編成し、女性向けにはベルギー風チーズケーキ、男性向けには焼きガキと、みんなが楽しめるように工夫しました。チーズケーキは、九州大学料理コンテストで優勝し、訪れた南海キャンディーズのしずちゃんにも絶賛されたほどで、大好評でした。また、NPO法人「FIWC」が推進している、井戸しかないフィリピンの山村で水道を敷設するプロジェクトにも参加しました。さらに、大学生協が発行している「就活サプリ」という雑誌の編集にも携わりました。この雑誌は全国60大学の学生が協力して発行しており、幅広い交流が生まれたことが収穫でした。また就活塾福岡というキャリア支援の団体を立ち上げて自ら企画・運営を行い、地方学生のキャリア支援を行いました。アルバイトでは、カフェやもつ鍋屋さんの新規立上げに携わらせて頂き、福岡でも人気のお店づくりに貢献させて頂きました。
・・大学卒業後のご経歴を紹介してください。
就職活動では大手総合商社などの歴史ある大企業と、創業10年満たないベンチャー企業の両方から内定を頂きました。スピードある環境を求めて当時ベンチャー企業だった(株)DeNAへ2008年に入社し、2年間、ウェブ広告の営業職・企画・マーケティング・コンサルティング業務を経験、そして、一通りビジネスの流れや社会人の基礎を勉強させて頂いた後、自分で事業をやりたいという思いが強くなり、退職して、2010年にギャラリーフジヤマ(株)を設立しました。当初はそれまでの経験を生かして、ウェブの広告代理業を中心業務にしていました。ところが、翌2011年に東日本大震災を経験したことで、自分ができることとは何かということを深く考えるようになりました。私の祖父は江戸時代から続く有田焼の窯元の当主でした。ある時、その窯元の職人が東京で作陶展を開催するということで足を運んでみると、実家である窯元の作品で若干手前味噌ながら、素晴らしい作品の数々に心を奪われました。ところがそれとは裏腹に、有田焼は不振で業界全体がたいそう厳しい状況であるという話も聞きました。その話を聞いて、今の自分に何ができるかはわからないけれど、有田焼の復興に携わることで社会に貢献していきたい気持ちが強くなり、このことが、私のミッションではないかと思うようになったのです。そこでまず、祖父が経営していた窯元「しん窯」のネットショップを立ち上げました。当初は東京で運営していたのですが、現場で職人さんたちのものづくりに直に触れる必要性を感じて、佐賀に拠点を移すことにしました。
「しん窯」は、「後世に残るやきものを創る」を理念として、暮らしの器として「青花(せいか)」というブランドをつくり、器との語らい、器は人なりをモットーに掲げながら、続いてきた有田焼の窯元です。最近では、古くからの伝統にこだわらず、3Dプリンターを駆使して有田焼のスヌーピーをつくったり、有田焼の文字盤と竜頭を使った腕時計を開発したりなど、新しいことに意欲的に挑戦してきました。その強みをさらに発揮するために、私は執行役員として、新生しん窯を掲げて、有田焼のリブランディングを進めています。たとえば、佐賀県が昨年立ち上げた、企業が連携して新たなものづくりにチャレンジする「コラボファクトリー」のプロジェクトに参画し、ゲーム会社「スクウェア・エニックス社」と佐賀県のコラボレーション企画として、「サガ25周年×佐賀県=ロマンシング佐賀」にも参加。2014年3月には東京・六本木のヒルズカフェでイベントを行いました。イラストレーターの小林智美さんの手書きイラストをもとにして、62㎝の有田焼の大皿を完成させ、展示販売したのですが、4日間で7,000人の方が来場し、コラボグッズも完売と大盛況を収めることができました。今後も、より多様なプロジェクトを企画して、有田焼の価値を高めていきたいと考えています。
・・これまでの活動の中で、河合塾で学んだことが役立っていると感じていらっしゃることはありますか。
はい、問題解決のためのアプローチの仕方は現在の仕事でも役立っています。受験勉強はゴールが明確です。私が河合塾に通うようになって、最初に行ったことは、大学合格という明確なゴールに向けて、どの科目をいつまでにどのレベルにまで高める必要があるのかを考えることでした。そして、不足している部分を埋めるには、どのような勉強が不可欠になるのか、仮説を立てて、計画を立案しました。高校時代までは、そこまで具体的なアクションプランに落とし込んで考えることはありませんでした。このときに、問題解決のために具体的な計画を立てる習慣が身についたことは、現在の仕事でも役立っています。仕事のうえでも、いろいろな課題が発生します。その際に、どうアプローチして解決するのかを考えるという意味では、受験の問題解決と変わらない部分も多いと感じます。
・・最後に後輩たちへのメッセージをお願いします。
受験勉強を長続きさせるには、モチベーションが重要になります。大学進学に対して何の目的意識もないままで、与えられた問題を単に解いていくだけでは、最後の馬力は生まれないでしょう。ですから、自分はなぜその大学に行きたいのか、将来は何を成し遂げたいのか、自分のやりたいことを考えることをやめないでほしいと思います。そうは言っても簡単に見つかるようなものでもないと思いますが、それでも、考えることはやめないほうがいいと思います。例え、その時にこれだと思うものが見つからなかったとしても、その後、何かをやる際に、その時に考えたことが功を奏することが多いのではないかと考えるからです。当時の私は今のような仕事をしているとは夢にも思いませんでしたが、自分がやりたいことや自分の感性を大切にしようと意識して参りました。こういう風になりたいというビジョンが少しでも生まれればきっと、受験における最後の馬力も湧き溢れてくると思います。これからの自分に対しても言えることですが、考えることをやめずに、自分の感性を大切にして頑張ってください。自分が納得した道であれば、必ず将来に繋がると思いますので。
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藤山 雷太(Raita Fujiyama)
1983年生。佐賀県立佐賀西高校卒業後、河合塾大学受験科北九州校に1年在籍。翌2003年九州大学 工学部入学。卒業後、(株)DeNAを経て、2010年故郷の佐賀にてギャラリーフジヤマ(株)を設立、代表取締役に就任。有田焼のインターネット販売を開始。2013年有田焼の窯元(有)しん窯執行役員に就任。“後世に残るモノ創り”をコンセプトに、スクウェア・エニックス社とのコラボ企画「ロマンシング佐賀」では62cmの大皿を企画制作するなど、有田焼のリブランディングに挑戦中。<br />ギャラリーフジヤマ:http://seika.g-fujiyama.jp/
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