「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.81 (2014年12月26日公開)
- デザイン・アート関連
- 河合塾美術研究所
一人ひとりの出会いが<br />ひとつひとつの仕事に繋がり、<br />またその仕事が新たな人と出会わせてくれる。<br />全てがリンクしていて、生かされていると感じます。
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Iroha Design
グラフィックデザイナー榊原 健祐さん
- 出身コース
- 河合塾美術研究所
トヨタとユーミンがきっかけで、デザインに興味を抱く
・・デザインに興味を持つようになったきっかけは何ですか。
小学校高学年の遠足で、トヨタ自動車の工場を見学した際、展示されていた自動車のデザイン画をかっこいいと感じたことがきっかけです。同じ頃、両親の影響で、ユーミンのファンになりました。その煌びやかで都会的なアルバムジャケットに感銘を受け、グラフィックデザインの世界に興味を持つようになりました。
高校時代はバンド活動に熱中し、そのライブのポスターを作成しました。英字新聞に、図書館でコピーしたレタリング帳のアルファベットの文字を切り貼りして、ちょっとおしゃれな感じにしたポスターで、自分なりに出来ばえに満足していました。
・・河合塾美術研究所に通うようになったのはいつからですか。
大ファンのユーミンが多摩美術大学出身ということもあって、中学生の頃から、美術系大学への進学を意識していました。そこで、高校2年生から地元・半田市の絵画教室に通い始めました。そんな時、母親が中学時代の美術の先生に相談したところ、「やはりレベルの高い教育が受けられ、ライバルからの刺激も期待できる河合塾美術研究所に通った方がいい」と勧められ、高校3年生から移ることにしたのです。
第一線で活躍中の講師が、現役作家の目線で指導
・・河合塾美術研究所の印象はいかがでしたか。
都会育ちの他の塾生たちは、制服の着こなしからして洗練されており、最初はそうした周囲のセンスの良さにコンプレックスを抱いていました。一方で、このライバルたちに負けたくないという思いも生まれましたし、こんな刺激的な環境で実力を高めていけば合格できるはずだという安心感も得られました。
講師は個性的な方が多く、しかも、第一線で活躍中の先生ばかりでした。現役作家の目線で指導していただいたことに感謝しています。好きな作品を作っている先生に、一言ほめてもらえただけで、とても感激して、もっと頑張ろうという活力につながったことを覚えています。ときには辛口のコメントが寄せられることもあり、悔しい思いもしましたが、それも含めて先生方の論評を聞くことは、いい勉強になりました。
・・印象に残っている授業はありますか。
色の三原色(レッド、グリーン、ブルー)、色の三属性(明度、彩度、色相)など、色彩学の理論を教わる授業が参考になりました。それまではあまり意識していなかったのですが、そうしたロジック(論理)を踏まえて、実技に生かすことが重要だと感じるようになりました。
デッサンも、鉛筆の削り方など、ごく基本的なところから丁寧に教えていただきました。「静物デッサン」の授業では、アトリエに入ると、植物、石膏、カラフルなボールやガラスなど、さまざまな組みモチーフが置かれていました。それがとても美しく、眺めるだけで、「素晴らしいデッサンに仕上げてみせる」というモチベーションが高まったことを記憶しています。
また、実技系だけでなく、学科試験対策の授業も充実していることが、河合塾の強みです。私が入学した愛知県立芸術大学ではセンター試験が課されますし、そのほかに受験した関東の美術大学も学科試験が含まれています。学科試験の成績がボーダーラインに届かなかったばかりに不合格になったのではもったいないことですから、軽視することなく、真剣に授業に臨んでいました。そのおかげでセンター試験では相応の成績を収めることができました。
平面構成の課題で取り組んだ作品で自信が芽生える
・・イベントの思い出はありますか。
本科生の9月の「自由作品展」で、B全サイズの手書きのポスターを制作しました。浮世絵の大首絵の頭をかつらのように持ち上げさせ、スキンヘッドの部分をそれを地球に見立てて酸性雨を降らすとともに、スキンヘッドから熱を放射させて地球温暖化を表現した作品でした。もう20年近く前の作品なのに、けっこう覚えているものですね(笑)。
・・自分の実力に自信を持つことができるようになったのは、いつ頃、どんなきっかけからでしたか。
私は、高校卒業後の1年間を含めて、2年間美術研究所に通いました。その2年目の秋、「ジャパン」をテーマにした平面構成の課題に取り組んだことが、1つの転機になった気がします。江戸時代の舞妓の下駄をモチーフにした作品で、先生方に高く評価されました。自分なりの個性が発揮できたという手応えがあり、自信が芽生えました。今でもその時の感触ははっきり覚えています。それだけ私にとっては大切な作品です。
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今も大切にしているという「河合塾美術研究所」在籍時に取り組んだ平面構成の作品
全国の卒業制作作品を対象としたコンペティションでグランプリを受賞
・・愛知県立芸術大学時代に力を入れたことはありますか。
大学在学中から、さまざまな制作活動に取り組みました。最も印象深いのは「長久手市文化の家」で行われる音楽、演劇、ダンスなどのチラシを制作したことです。当時はまだ学生が自分の作品をオフセット印刷することは高価で難しいことでした。そこでは限られた予算の中でも紙やインキを工夫し、自分のデザインがオフセット印刷で刷り上がったときは、とても感動しました。
・・在学中に受賞もされているのですね。
全国の大学の卒業制作作品を対象としたコンペティション「第3回ラッキーストライク・ジュニアデザイナーアワード」でグランプリを受賞しています。漢字の成り立ち、つまり絵から文字になっていく過程を「パラパラ漫画」で表現しました。当時はデジタル化が加速し始めた頃で、映像メディアが身近になり、ムーブメントとなっていました。また、卒業制作というと「大作」が当たり前な感じもありました。その2つの風潮へのアンチテーゼとして、デジタルを駆使しつつあえてアナログ表現の「小品」で宇宙を表現することが、私なりのこだわりでした。
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「第3回ラッキーストライク・ジュニアデザイナーアワード」でグランプリを受賞した卒業制作
河合塾美術研究所のロゴタイプ、「カルトンバック」のデザインなども担当
・・卒業後のご経歴を紹介してください。
大学卒業後、松永真デザイン事務所に入社し、6年間の修行時代を送りました。独立か転職かを悩む中、友人の紹介で名古屋のインテリア雑貨のオンラインショップ「scope」のロゴタイプをデザインしました。この仕事がご縁で、6年目に独立し、「Iroha Design」を設立しました。
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インテリア雑貨のオンラインショップ「scope」のロゴタイプや雑誌広告も手掛ける
・・主にどのような作品を手がけられているのですか。
最近の主な仕事としては、森美術館の企画展「ゴー・ビトゥウィーンズ展:子どもを通してみる世界」の館内パネルのデザインや、東京ステーションギャラリーの活動報告書、企画展のポップアップのチラシなどを手がけています。
また、さまざまな会社のロゴタイプ、CI、広告などにも携わっています。実は、河合塾美術研究所のロゴや入塾案内、美術研究所の入塾生にプレゼントする「カルトンバック」もデザインしました。このバッグを持参していることは、名古屋では一種のステータスになっているそうです(笑)。
さらに、非常勤講師として、母校の愛知県立芸術大学や昭和女子大学でデザインの授業を担当しています。できるだけ現場のリアルな空気感を伝えるように心がけています。
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河合塾美術研究所名古屋校の「入塾パンフレット」や塾生が使用する「カルトンバッグ」もデザインしている
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自分のブランドを確立することが目標
・・今後の目標をお聞かせください。
自分のブランドを確立することが当面の目標です。面識のない方でも、僕の仕事をどこかで目にして「ぜひ榊原さんにお願いしたい」と仕事を依頼していただけることが理想です。それを実現できるように、今後も自分を高めていきたいと思っています。
・・現在の仕事に河合塾美術研究所で学んだことが活きていると感じられることはありますか。
受験生時代は辛い気持ちになることもあるのですが、必死に頑張って乗り越えたという自信が大きいですね。その経験があるので、今でも多少困難なことでも十分に乗り切れるはず、という意識を持つことができます。
もう1つ、大きな「宝物」といえるのが、先生や仲間との人間関係です。友人たちが夢中になっている音楽、映画やそのほかのカルチャー全般に関する情報は、田舎育ちの私にとって、とても刺激的でした。現役の作家でもある先生方と出会えたことも大きな収穫です。当時の先生や仲間とは、現在でも交流が続いています。また、独立後にイラストレーターとして活躍されている当時の先生と仕事でコラボレーションすることができました。どんな世界でも人脈は大切ですが、デザインの世界でも同じです。大学入学前からの人脈が、無意識のうちに私にとって大きな財産になっていることに日々感謝しています。すべてがリンクしていて、生かされていると感じています。
・・最後に、河合塾美術研究所に通う後輩たちへのメッセージをお願いします。
「デザイン」と一言でいっても、多様な世界です。まずは自分が 何に熱中できるのか、何が好きなのかを明確にし、将来の自分をより具体的にイメージすることが大切になるでしょう。 それが見えれば、大学に合格するためには、どれくらいのレベルにまで到達する必要があるのかは分かるはずです。それを怠けずにやり遂げて、悔いが残らないように頑張ってほしいと思います。ここでの頑張りは、結果に関わらず未来への自信になります。
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榊原 健祐(Kensuke Sakakibara)
1979年愛知県生まれ。小学生の頃からデザインに興味を持ち、愛知県立半田高等学校3年生の時、河合塾美術研究所へ入塾。高校卒業後、美術研究所での1年を経て、1999年愛知県立芸術大学美術学部へ入学。2003年卒業後、株式会社松永真デザイン事務所入社。2009年5月に退社し、その後独立。デザインレーベル「Iroha Design」を設立し、ロゴタイプ、CI、パーケージ、広告、エディトリアルなどグラフィックデザイン全般を手掛ける一方、愛知県立芸術大学非常勤講師、昭和女子大学非常勤講師も務める。2011年から河合塾美術研究所名古屋校のイメージデザインも担当。<br />Iroha Design.:http://irohadesign.net/
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