「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.92 (2016年8月25日公開)
- 弁護士・公認会計士・税理士
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- 中学グリーンコース
- 高校グリーンコース
東大卒業後、アメリカのロースクールに留学し、現在は外資系の投資運用会社でマネジメントを担当。<br />そうして世界が広がっていく「出発点」が河合塾でした。
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アカディアン・アセット・マネジメント・ジャパン
リーガル・カウンセル/チーフ・コンプライアンス・オフィサー一色 真郎さん
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選抜クラスに入るための勉強が、これまでの人生で最も純粋な気持ちでの勉強だった
・・河合塾に通うようになったきっかけからお聞かせください。
三重県鈴鹿市の出身で、地元の公立小学校に通っていました。農村地帯で、子どもにとっては退屈で仕方がありませんでした。17歳年上の兄が、そんな私を見かねて、中学受験を目指したらどうかと言い出したのです。周囲に中学受験をするような生徒はいなかったのですが、その気になった私は、鈴鹿から電車で1時間半かけて、小6になる直前の春に河合塾に通うことにしました。
・・春期講習の印象はいかがでしたか。
春期講習では、中学入試レベルの問題を解きます。今思うと、典型的な問題ばかりだったのですが、そんな問題に初めて出会った私は「日本一難しい問題」が並んでいるように感じました(笑)。にもかかわらず、平気で問題を解いていく周りの生徒たちのレベルの高さに衝撃を受けました。とくに、幼稚園からドルトンスクールに通った生徒たちの優秀さには圧倒されました。
春期講習終了後に、選抜クラスの試験を受けましたが、当然のことながら偏差値45程度に止まり、不合格でした。そこで、一般クラスからスタートしたのですが、5月中旬に1回目のクラス替えテストがあることを知り、次は選抜クラスに入れるように頑張ろうと決意しました。この時期が、私のこれまでの人生で、最も純粋な気持ちで勉強に取り組んだ時期かもしれません。何しろ6時間続けて勉強しても、もうそんなに時間がたったのかと思うぐらい集中できました。それまでまともに勉強したことがなかったので、勉強すること自体が楽しかったのです。その甲斐あって、5月中旬のクラス替えテストでは、偏差値65まで急上昇し、選抜クラスに入ることができ、少し遠くの千種校まで通うことになりました。
・・中学受験に向けた授業の印象を聞かせてください。
当時の授業の進め方は、決められた出題範囲に関する勉強をして、日曜日にテストを受け、その復習と次の日曜日のテストの準備をする、といったスタイルでした。テストは、小学校で習う内容とは次元の違う問題ばかりで、新しい知識がどんどん吸収できることが楽しかったですね。実は私は、小学校では宿題を3回に1回は忘れてしまうような状態で、それでも許されていたのですが(笑)。そんな生活から一変して、きちんと予習・復習をするようになり、自分の力でもっと先に進もうという意欲が高まりました。河合塾のパンフレットに書かれていた塾訓「汝自らを求めよ」とは、こんな勉強のことを言っているのだろうなと、子ども心に思っていました。
・・中学受験の結果はいかがでしたか。
中学受験のための勉強をスタートしたのが小6からと、周囲と比較すると遅めでした。その分、スランプを感じる時間もなく、1年間突っ走った感じです。成績も順調に伸び、東海中学校・高等学校に合格することができました。
高校受験をめざす生徒に刺激を受けて、中だるみから脱却できた
・・中学入学後も河合塾に通ったのですか。
いえ、しばらくは独学で勉強しました。東海中学校・高等学校は、浄土宗に基づく学校です。入学する直前、井上靖の『天平の甍』が映画化され、生徒全員で映画館に行って鑑賞したという話が、学校の広報誌に掲載されていました。私は、映画は観られなかったけれども、せめて小説は読もうと考え、入学してすぐに読みました。この小説は、日本の若い留学僧が、当時の世界最高峰の文化の地であった唐に渡り、最新の仏教教典を日本に持ち帰ろうとする物語です。そのために、主人公は教典を一心不乱に写経します。私は、これこそ本物の学問の姿だと感銘を受けました。そこで、すべての教科書を目次から本文、練習問題まですべて書き写すことにしました。通学の電車を待つ間、プラットホームでも写し続けました。それぐらいしないと間に合わないからです。これだけ真剣に勉強したのだからと、最初の中間テストには自信満々で臨みました。ところが、真ん中ぐらいの成績しかあげられなかったのです。奈良時代から続いている由緒正しい勉強法のはずなのに、これはおかしいと(笑)。成績優秀な友人に勉強法を聞いてみると、教科書の太字は重要な用語だから、確実に覚えるようにノートに5回書くようにしているとの返事でした。そうか、最初から最後まで全部書いて覚える必要はなかったのか。太字に注目すればよかったのか、と目から鱗が落ちた思いでした(笑)。
・・再び河合塾に通うようになったきっかけは何ですか。
自宅の近所に住んでいる高校教員の方に、数学を個人的に教えてもらっていました。ところが、その方が怪我をされ、高齢だということもあって、今後は教えることができなくなったと言われました。そこで、中3の夏期講習から、河合塾に通うことにしました。そしてまた、一色少年はショックを受けることになるのです(笑)。中学グリーンコースには、公立高校を受験する生徒も一緒に学んでいます。私のような中高一貫校の生徒は、高校受験がない分、どうしても中だるみが生じがちです。高校受験に向けて必死で勉強している姿に刺激を受けて、中だるみから脱却し、頑張ろうという気持ちになれたことは、とてもよかったと思っています。その後、高校を卒業するまで、ずっと河合塾に通いました。
・・高校グリーンコースで印象に残っている授業を教えてください。
漢文の授業が大好きでした。漢文のルールをきめ細かく教えてもらったおかげで、かなりの得点源になりました。それ以上に素晴らしかったのが、授業の中でたくさんの本が紹介されたことです。アルビン・トフラー『未来の衝撃』、リチャード・バック『かもめのジョナサン』、トーチェ夫妻『トーチェ氏の心の法則』など、先生に勧められた本は全部読みました。その後の私の人生に大きな影響を与えてくれた気がします。教科の枠にこだわらず、若者にとって刺激になることなら何でも教えるという姿勢は、河合塾らしいところかもしれません。
数学の授業も印象に残っています。ただし、河合塾の高校グリーンコースは、他の塾のように、膨大な課題を課すわけではありません。授業で行うテストに向けて、ある程度、自分で勉強を進めていく必要がありました。「汝自らを求めよ」の、この勉強スタイルが私には合っていました。解法がなかなか思いつかず、朝の5時まで考えて、少し寝ておこうかと寝床に入った瞬間、解法が閃いたこともあります。数学では、そうした自分で考え抜く力を身につけることが最も重要で、その訓練を続けたことによって、高1の10月の全統模試では全国トップになることができました。
・・そのほか、河合塾に通ってよかったと感じていることはありますか。
チューターとの距離の近さが魅力です。私の場合は、現役大学生のチューターに、少し年上の先輩という立場から、勉強方法や生活習慣など身近なアドバイスをしてもらったことが役立ちました。
それから、私は、河合塾に通ったことで、人生が変わったと感じています。農村地帯でのんびり過ごしていた子どもが、中学受験を経て東大に合格し、東京に出て、さらに『天平の甍』の主人公が唐を目指したように、私も世界の中心で学ぶために留学を経験しました。そうして世界が広がっていく「出発点」が、小6の時に受けた河合塾の春期講習だったのです。
アメリカの投資運用会社の日本拠点立ち上げから関わる
・・高校卒業後のご経歴を紹介してください。
高校を卒業して1年後、東大文科Ⅰ類に合格し、法学部に進み、大学院法学政治学研究科修士課程を修了しました。当初は、日本の司法試験も視野に入れていたのですが、大学院で研究を進める中で、証券取引法や銀行法など、司法試験で課されない法律に興味が生まれました。金融制度改革で、銀行、証券の相互参入が議論されていた時期でもあり、この分野に特化して研究を進めたいと考えたのです。日本でこのような新しい潮流が起こる時は、必ずアメリカ発です。ならば、アメリカの銀行で仕事をしようと思い、大学院修了後は、JPモルガンに就職しました。さらに、会社の派遣制度を活用して、アメリカ・デューク大学のロースクールに1年間留学し、ニューヨークの弁護士資格も取得しました。
・・現在の仕事の主な内容を教えてください。
留学から帰国後、いくつかの転職を経て、大規模な投資運用会社で法務部長を務めていました。けれども規模が大きいと、他の部署でどんな動きをしているのか、見えにくい面がありました。そんな時、ボストンに本拠を置く投資運用会社が、東京で日本拠点を立ち上げるという話が舞い込みました。発足から関わることができるし、当初は規模も小さいので全体的なマネジメントに携わることもできるというところに魅力を感じて、2014年3月、「アカディアン・アセット・マネジメント・ジャパン」に入社しました。現在は希望通り、法務、コンプライアンス、人事、経理、ITなど、幅広い業務を統括しています。
「汝自らを求めよ」の姿勢が身についたことが役立っている
・・これまでのご経歴の中で、河合塾で学んだことが役立っていると感じていらっしゃることはありますか。
河合塾のグリーンコースでは、宿題も少なく、膨大な教材も与えられません。テキストも比較的薄めです。けれども、そのテキストには、かなりの難問が提示されており、最終的にその問題が解けるようになることが目標であることがわかります。その目標に向かって、自分で計画を立てて、何とかクリアしようとするトレーニングの連続でした。今振り返ると、まさに仕事の進め方と共通していることがわかります。上から指示された通りに動けばいいのではなく、常に自分で考えて、工夫して、意思決定する能力が問われるのです。勉強も同じで、やらされているといった感覚を抱いていたのでは、学力が伸びるはずはありません。繰り返しになりますが「汝自らを求めよ」の主体的な学びの姿勢が身についたことが、現在につながっていると感じています。
・・最後に、河合塾の後輩たちへのメッセージをお願いします。
河合塾をペースメーカーとして上手に活用してほしいと思います。逆にいうと、河合塾にすべてを依存するのではなく、自力でやり遂げる部分が必要になります。そうした自立心が旺盛な人ほど、志望校に合格するという傾向もあると感じています。その一方で、たとえば数学が苦手で、独学で克服が困難というのなら、河合塾の授業に必死で食らいつきましょう。科目ごとに、自分の学力を最も伸ばせる方法を試行錯誤して見つけることが大切です。合格者が100人いれば、100通りの合格体験記があると信じています。
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一色 真郎(Makoto Isshiki)
1967年三重県生まれ。小学6年生の春期講習より河合塾に通い、東海中学校・高等学校に合格。卒業後は、東京大学文科二類に進学し、大学院法学政治学研究科修士課程を修了。その後、JPモルガンに就職。在職中に米・デューク大学のロースクールに留学し、NYの弁護士資格を取得。以後、様々な会社で法務の実績を積み、2014年より、アカディアン・アセット・マネジメント・ジャパンで、リーガル・カウンセル、チーフ・コンプライアンス・オフィサーとして活躍中。
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