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2021年度JCERIレポート未来に明るいシナリオを描くための救いになるのが「学習科学」である

白水 始(しろうず・はじめ)先生顔写真

白水 始
(国立教育政策研究所 初等中等教育研究部総括研究官)

OECDと文部科学省が描く未来(1/4)

OECDが描く「未来の学校」シナリオ

 2032年の学びや大学入試を考えていくにあたり、OECDや文部科学省といった国内外の動静をまとめておきましょう。OECDは2010年頃から「未来の学校」のシナリオを描いており、最新の2020年改訂版では4つの可能性が提示されています。ただし、OECDとしてどのシナリオを望ましいと考えているのか、言及されてはいません。学校の行く末に強い興味を示し、注視している感じです。

 第一のシナリオは「学校教育の拡大」です。履修主義で、学習成果を評価してcertificate(証明)する教育が進行。それに伴って、公教育は肥大化し、官のコントロールが強まっていくという路線です。第二は「学校教育のアウトソーシング」です。塾、AIドリルなど、民間のリソースにアウトソーシングされることで、学校の社会的価値や役割は低下することになります。第三の「学びのハブとしての学校」では、学校だけでなく、教育委員会、自治体など、地方の関係者が教育を担います。コミュニティの多様な人々とパートナーシップを締結し、それぞれの専門性をもって教える形になり、そのハブとして学校が残っていくわけです。第四は「行く場所すべてが学びの場」です。デジタル化が進み、学習機会が皆にインターネットで無料で開かれるとともに、教育がデジタル・テクノロジーとAIに基づいて構築されるようになることで、学校教育制度は解体されていくというシナリオです。

文部科学省の「Society5.0に向けた学校ver.3.0」

 一方、文部科学省でも、「Society5.0に向けた学校ver.3.0」で、未来の学校像を描いています。この中で私が注目したのは、現状のSociety4.0(情報社会)を「グローバル市場経済モデル」と同時期に位置づけていることです。政府が教育を一手に担ったSociety3.0(工業社会)の「国民国家モデル」から、人や地域のつながりで課題を解決するSociety5.0の「持続可能な開発モデル」へと向かう狭間のいま、マーケット・ソリューション、つまり市場が課題を解決する形にドライブしすぎているのではないか、という文部科学省の危機感が感じられます。

学校教育サービス化の懸念点(2/4)

学校教育のアウトソーシングの問題点

 これらのシナリオに基づいて、今後の中等教育、大学入試を展望してみましょう。私が最も着目しているのは、学校教育のアウトソーシングがどれだけ進むのかということです。この点については、今後の10年間が重要な過渡期になる気がしています。問題は、現在の「グローバル市場経済モデル」に基づくアウトソーシングが、あまりにも貧困なことです。資本主義ベースの消費マインドで学びを考えているからです。音楽なら消費者がボタンを押して聴いた曲から、ビッグデータで好みを解析して、次の曲をレコメンドする形でOKです。しかし、学びにおいて、動画やレクチャー、テキストなどをワンボタンで選択して、消費者が何かを選んだら、次はこれをレコメンドするといった、音楽と同様の消費モデルをそのまま適用してしまっていることが、残念なのです。学習はもっと探索的で生成的な営みでしょう。

教育データサイエンスには光と影がある

 アウトソーシングとの関連で、教育のサービス化に高度情報技術が絡むと何が起こるのか。国立教育政策研究所主催のシンポジウム(2022年2月15日実施)に登壇したサンヌ・スミス氏(スタンフォード大学)が、興味深い事例を紹介してくれています。

 テキサス州ヒューストンの学校で、AIやビッグデータを用いて、1年間でクラスの生徒の学力がどれだけ伸びるかを予測。その上で、年1回実施する標準テストの点数が、予測を上回れば、クラスの担任教員のボーナスなどに反映させるという「教育付加価値評価システム」を導入しました。その結果、訴訟になっています。「生徒のケアには焦点を当てていない。それに、年1回のテストでは、その日に体調の悪い生徒もいるかもしれず、そのほかにも多様な要因が考えられるのに、テストだけで悪い生徒、悪い教員をでっち上げて、利益を得る民間企業に資金を吸い取られている」というのが、教員側の意見です。

 スミス氏は「教育データサイエンスには光(チャンス)と影(課題)があり、慎重に行われなければならない」と語っていますが、私も同感です。高度情報技術の使い方として、データをもとにインセンティブをつけようとしていることが、大問題なのです。限られたデータのはずなのに、それがボーナスに影響したのでは、教員を相対評価することになり、教員集団の分断にもつながります。しかも、教育の成果には、教室やコンピュータの前だけでなく、さまざまな場面で身につく力もあります。テストで標準的な学力を評価するだけでは、資質・能力の一部しか見ていないと言わざるを得ません。

高度情報技術を教育に持ち込むシナリオと学習科学(3/4)

コンテンツを教えるマインドセットでコンピテンシーを教えようとしている

 次に、大学入試に高度情報技術が絡むと、何が起こるのか、考えてみることにしましょう。

 その前に、コンテンツとコンピテンシーの違いに触れておくことにします。コンテンツを教える目的は、現在の科学の到達点や専門家の合意、すなわち昔の偉人がわかっていたことを、現代社会に生きる子どもたちにも共通の知識として持ってもらうことです。社会的にそれを常識にしておくと、人々のコミュニケーションも取りやすくなるなどいろいろな面で効率的だからです。それに対して、いまコンピテンシーを重視しているのは、科学者が新たなコンテンツを生み出すプロセスにおいて必要な力を、子どもたちに身につけさせたいという思いからです。それによってイノベーションが起こることが期待されます。

 ところが、いまの日本の教育は、コンテンツを教えていたマインドセットのままで、コンピテンシーを教えようとしています。ある自治体の理科教育では、実験や観察から、結果の記録、解釈のやり方まで、あたかも料理のレシピのように一様に教えて、それによって理科の探究能力を身につけさせるなどと言っています。そもそも探究能力とは、そんなスキルではありません。コンテンツとコンピテンシーを一体的に教えて、たとえば漢文でも探究的に学べるようにする、そんなマインドセットになれば、爆発的におもしろい状況が生まれるでしょう。

 現状のマインドセットのままで、大学入試に高度情報技術が持ち込まれるとどうなるのか。コンテンツは、AIドリルのような「アダプティブ(適応型)テスト」で、基礎的なデータとして取ります。一方で、コンピテンシーについては、中学・高校で一通り教え込まれた、お仕着せのコミュニケーション、コラボレーションなどの方法を、作法通りにできるか、実技検査するようなテストが流行り出すかもしれません。それを請け負う業者もあるでしょう。もちろん、これはバッドシナリオです。

現状の学校教育制度の中でも取り組める路線はある

 悪いシナリオの話が多くなりましたので、ここで明るいシナリオも提示しましょう。文部科学省が示したように、Society5.0に向けて、学校が地域創生の中心になることも、良い方向性だと思いますが、その前に、現状の学校教育制度の中でも、まだできる路線は十分に残されていると、私は考えています。そして、我田引水になりますが、未来の教育に明るいシナリオを描く上で、救いになるのが「学習科学」です。

 「学習科学」とは、「How people learn」すなわち「人はどうやって学ぶのか」を学習者中心の視点から見直す学問です。「そもそも人は生まれつきどのような自ら学ぶ力を持っているのか」「それを使って、経験から学んだことを、科学的な考えに変えていけるのか」「どんな経験から『考え』と『力』、言い換えれば『コンテンツ』と『コンピテンシー』の両方を一緒に伸ばせるのか」といったテーマにかかわっている学問です。

 現在はデータ駆動型教育が強調されすぎて、教育に対する考え方がボトムアップになっています。そうではなくて、引き起こしたい学びのヴィジョンや仮説(学習理論)をもとに、まずは「良い授業」を創ろうという動きを、トップダウンで仕掛けていくことが大切です。「良い授業」にするためには、コンテンツとコンピテンシーを一体的に教え、学ぶことが重要になります。当然、そのような授業を創るのは難しいわけなので、教員の協働が必須になります。そして、成果を確かめるためにこそ、テクノロジーやデータは使われるべきです。そういう教育のトータルデザインを描く際に、「学習科学」がベースになるでしょう。

 ただし、「学習科学」はまだ、学校現場に浸透していません。大きな壁になっているのが、世の中の消費マインドです。誰かに知識を教えてもらって、それを覚えて適用するのが「学び」であると信じられている限りにおいては、「生まれつきの自ら学ぶ力」や「経験則を科学的な考えに転換する」といった話が、なかなかわかりにくいわけです。この点を払拭するために、私は現場の先生方の協力も得て、「学習科学」の普及に力を入れていくつもりです。

まとめ

 すべての人の知を、その時代の中で限界まで伸長できる術があれば、必ずしも学校で学ぶ必要はないかもしれません。けれども、皆を同じ時間、同じ場所に集めても文句を言われない学校というシステムがある限りは、それを活かさない手はありません。それに、繰り返し指摘したように、教育のアウトソーシングや、極端な高度情報技術の活用には、まだ大きな課題が残されています。だからこそ、「学習科学」を基盤とした学校教育の改善が重要になると考えています。



白水始(しろうず・はじめ)
 国立教育政策研究所 初等中等教育研究部 副部長・総括研究官(兼)教育データサイエンスセンター 総括研究官、東京大学生産技術研究所リサーチフェロー。専門は、学習科学・認知科学。文部科学省「教育データの利活用に関する有識者会議」委員、大学入試センター「CBT活用検討部会」委員、文部科学省「新時代の学びにおける先端技術導入実証研究事業(学校における先端技術の活用に関する実証)に関する調査研究」事業推進委員会委員を兼任。大学生対象の協調学習実践、国立教育政策研究所で学習科学に基づく教育政策基盤研究を展開後、東京大学で小中高生対象の協調学習の実践を全国の先生方と進める。近著に、『対話力―仲間との対話から学ぶ授業をデザインする!―』(東洋館出版社、2020)がある。

※所属・役職は2022年3月時点のもの

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