未来のマナビフェス2018 実施報告vol.7テーマセッション【キャリア教育】
「高校・大学・社会をつなぐ学びの展望—キャリア教育を捉えなおす—」
登壇者:児美川孝一郎(法政大学)
【キャリア教育】をテーマにしたセッションは、「高校・大学・社会をつなぐ学びの展望―キャリア教育を捉えなおす」というタイトルで、法政大学キャリアデザイン学部の児美川孝一郎教授が担当した。2時間のセッションは、パート1=参加者の関心の交流、パート2=児美川教授の報告+質疑、パート3=ふりかえり+意見報告という三部構成。インタラクティブな形式で、活発な質疑応答・意見交換が行われた。ここではパート2についてその概要を報告する。
半数は日本的雇用という前提が通用しない若者
児美川 孝一郎 先生(法政大学)
そもそも、どのような経緯で日本のキャリア教育は制度化されたのか。児美川教授は1990年代以降、学校・大学から新卒採用を経由して日本的雇用へという円滑な移行プロセスが崩れてきたという背景を挙げる。
かつての日本社会は、学校に進学すれば卒業できるはずで、卒業すればちゃんと就職できるはずだし、就職すれば少なくとも3年以上は継続するはずだという前提が通用していた。ところが90年代以降、そうした前提が通用しなくなってしまった。推計すれば、そうした「ストレーター」はいまや全体の半数以下しかいないのだ。こうした状況のなかで、キャリア教育は制度的に導入されていったのである。
その後、2000年前後からの若年雇用問題への対応に迫られる時期を経て、2011年の中央教育審議会「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について(答申)」では本来のキャリア教育のかたちへと重点が移動し、そして今度の新学習指導要領において、より本来的なキャリア教育のあり方へと磨きをかけるに至った。児美川教授は日本のキャリア教育の20年をこのように概観する。
誤解と落とし穴がつきまとっていた日本のキャリア教育
児美川教授は日本のキャリア教育には「つねに誤解とそれに基づく落とし穴がつきまとっていた」と指摘する。その「誤解」とはどんなものか。
まず〈学校はキャリア教育という新しい課題を背負った〉という誤解がある。学校は本来、キャリア教育という概念がなかったころであっても、キャリア教育をすべきところであった。若者たちが社会に出ていく以上、そのための力をつける、将来の見通しをつける、そういう機能は従来の学校にもあったはずで、新しい課題が増えたわけではない。また〈勤労観・職業観を育てる教育だから、教科(小中高)、一般教育科目・専門科目(大学)とは無関係である〉といった考えも大きな誤解である。
次に「落とし穴」とは何だったのか。児美川教授は四つの落とし穴を挙げる。
- 「やりたいこと」主義
就社社会の日本では、夢ややりたいことを強調すると若者の視野を狭める可能性がある。 - ワークキャリア偏重
ライフキャリアへの視点が弱くなる。 - イベント主義
職場体験・社会人講話等のイベントだけ。授業・HRとの連携や振り返る場面がない。 - 土台なきキャリア教育
「社会的自立」という土台づくりが弱い。
「社会は捨てたものではない。みんなで協力していけば社会はよくしていける」という感覚、「自分も捨てたものではない。かけがえのなさをもっていて自分にできることがある」という感覚がなかったら、仕事に就くことなどできないはずである。そこをないがしろにしてきたのではないか。児美川教授はそう訴える。
それでは、アメリカにおける本来のキャリア教育とはどのようなものだったのか。
児美川教授によれば、60年代の中等教育の「危機」を立て直す教育改革のコンセプトだった。その「危機」には二つある。一つは、学校で学習する内容が陳腐化し、「何のために学んでいるか」という若者の問いに学校が応えなかったこと。二つ目は、価値観が多様化したことで、「自分はどう生きていくのか」という生き方への問いを学校が素通りしてしまったこと。こうした問題意識があったからこそ、アメリカでのキャリア教育は、学びと社会、学びと生き方をつなぎ直すという明確な理念、いわば教育哲学をもっていたと児美川教授は述べる。
それに比して、当初日本で意識されていたキャリア教育は狭いものだった。仕事と結びつけないとキャリア教育とは言えないと思われていたのだ。たしかに、就職難・フリーター・ニート・早期離職等の若年雇用問題が深刻化した時期だったことを思えば、こうした発想は致し方ないものだったかもしれない。しかし、この頃のキャリア教育は、対症療法になってしまっていたと、児美川教授は言う。
「社会的・職業的自立」を打ち出した2011年の中教審答申の意味
とはいえ、日本でも本来のキャリア教育の理念を徐々に取り入れてきたこともまた事実である。2004年の「キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議報告書~児童生徒一人一人の勤労観,職業観を育てるために~」では、「勤労観・職業観の育成」とともに、「キャリア発達の支援」という視点が打ち出されている。
児美川教授によれば、「キャリア発達」とは、人生の中でいろいろな役割をこなしながら生きていけるようになることであり、決して仕事だけの話ではない。市民として、地域社会の人として、そして働く人として、さまざまな課題をこなしていくようになることが「キャリア発達」である。ただ、現場には「勤労観・職業観の育成」という部分が強く印象づけられ、仕事や職業を扱わないといけないという認識が支配的であった。
さらに、前述の2011年の中教審答申では、「子どもたちの社会的・職業的自立」が目標概念となっている。「社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して、キャリア発達を促す教育が『キャリア教育』である」と明確に規定されているのだ。
児美川教授は、ここで「社会的」と記されていることが重要であると言う。社会的に自立できない人が、職業的自立を果たせるはずがない。その点、キャリア教育の土台となる「社会的自立」という部分に光を当てていることが重要なのである。一方で、「勤労観・職業観」についてはあまり強調されていない。これは事実上、教育行政が軌道修正したというサインだと受けとめていると、児美川教授は言う。
「私なりに噛み砕くと、キャリア教育とは将来への準備教育だ」と児美川教授は端的に述べる。それは次の二点を含意する。一つには、将来の生き方を考え「自分ごと」にすること。それには価値観や人生観が関わり、進路をマネジメントする意識などが必要になる。二つには、社会に漕ぎ出していくための力を獲得すること。ここでは基礎的・汎用的能力や専門性が必要になってくる。
教育の組み立て方の大転換を迫る新学習指導要領
新学習指導要領は従来の発想からの大転換を迫るものである、と児美川教授はみている。どんな点が大転換なのか。
新しい学習指導要領は従来のものと組み立て方からして違う。従来であれば「何を教えるか」というコンテンツを中心とする。しかし本来、まずは「子どもたちにどう育ってほしいか」「どんな力を身につけてほしいか」という目的が決まってこそ、コンテンツが決まってくるはずである。そして実際に力がついたかどうかを点検するためには評価を充実させなくてはならないし、さらに全体をカリキュラム・マネジメントで統合しなくてはならない。
では、その新学習指導要領のなかでキャリア教育はどう位置づけられているのか。
現行の学習指導要領では一箇所しかふれられていなかったのだが、新学習指導要領では小中高すべてにおいて明確に書かれている。中学校の学習指導要領で一例を示せば、「生徒が、学ぶことと自己の将来とのつながりを見通しながら、社会的・職業的自立に向けて必要な基盤となる資質・能力を身に付けていくことができるよう、特別活動を要としつつ各教科等の特質に応じて、キャリア教育の充実を図ること」と、明記されている。
「特別活動を要としつつ各教科等の特質に応じて」というのは、本体の教科教育の中にキャリア教育を組み込むということである。特別活動を軸としたキャリア教育と同時に、日常の教科学習を通じてキャリア教育を行うということであると、児美川教授は説明する。
最後に児美川教授は、従来のキャリア教育とこれからのキャリア教育の違いを「花火」と「積み木」の比喩で説明する。
従来のキャリア教育は、夢、職場体験、インターンシップ、適性検査といった「打ち上げ花火」を次々にあげていた。それは一見きれいだしその場での印象は残るものである。しかし、十年後にその若者たちの力になっているかどうかは疑わしい。
一方、これからのキャリア教育は「積み木」である。「花火」はすぐに消えてしまうが、「積み木」はなくならない。そのうえ土台をしっかり固めないと上に積み上げていけない。通常の授業、HR活動、行事、委員会活動などに組み込まれたキャリア教育である。そういう方向へとキャリア教育をもっていかなくてはならない。
※本文中の所属・役職などは開催当時のもの
※このページは日本教育研究イノベーションセンター(JCERI)によって制作されました。