2020年度 第3回 対話のひろば 実施レポート「今こそ本物の学びについて語ろう-学びを止めるな!」
2020年8月23日 実施
2020年度対話のひろば第3回は「今こそ本物の学びについて語ろう―学びを止めるな!」をテーマに、8月23日に開催された。このテーマは、2020年2月に新型コロナウィルス感染拡大を考慮して開催を断念したリアルイベント「本物の学びについて語り合おう」を受けたものだ。このような状況だからこそ、リアル授業であるか、オンライン授業であるか、ブレンディッド授業であるかを問わず、そもそも授業では何が実現されるべきなのかという原点を考える場として設定された。話題提供者は、2月にも登壇予定だった京都大学大学院教育学研究科 准教授の石井 英真(いしい・てるまさ)先生。河合塾小論文科 講師の田本正子の司会で開催された。以下、当日の様子をレポートしたい。
プログラム ※所属・役職は開催当時のもの
- 話題提供1 本物の学び、真正の学び(Authentic Learning)とは 京都大学大学院教育学研究科准教授 石井英真先生
- ◆ 参加者同士の対話 1-ブレイクアウトセッション-
- 話題提供2 本物の学びをどうデザインするか
- ◆ 参加者同士の対話 2-ブレイクアウトセッション-
- リフレクション
話題提供1 本物の学び、真正の学び(Authentic Learning)とは 京都大学大学院教育学研究科准教授 石井英真先生
授業についての議論で見落とされていること
京都大学大学院教育学研究科准教授 石井英真先生
まず、最初に「授業とは何か」という問いである。
ブレンディッド授業も大切だし、オンライン授業も重要であるが、そもそも授業とは勉強をサポートするだけでなく、人間の成長に関わる営みであると、石井先生は定義する。しかし最近は、改革に踊らされ、授業がゆれているのではないか。近年、旧来型の教師主導の授業から学習者主体の授業への転換が謳われているが、見落とされていることがあるのではないか、と指摘する。
というのも、旧来型の一斉授業といっても一枚岩ではない。生徒との問答を入れ生徒たちの考えを擦り合わせながらより高みをめざす創造的な一斉授業もあるし、生徒たちのつまずきに寄り添い、皆で考え練り上げていく授業もある。ただし、このような創造的な一斉授業の“遺産”もある一方で、教師が想定する結論に誘導する側面もあったし、実際に一部の生徒たちのみが発言するといった課題もあった。
一方、学習者主体の授業も一枚岩ではないし、学び合いの授業にも落とし穴がある。そこにはアイデアの創発があるが、学びを深める指導になっていないという危惧もある。学習の「めあて」「手順」「ストップウォッチ」「共有」「どれもいい意見だね」と学び合いが標準化・パターン化してしまえば、教師は必要すらなくなるのでは、という懸念もある。
このような二項対立の中で見落とされていることがあるのではないか、というのが石井先生の問題提起の出発点だ。
「教える」とは何か-なぜ本物の(真正の)学びが求められるのか
また、演習問題を「解く・進めること」が「理解する・考えること」だと生徒たちが勘違いする傾向もある。「教える」という営みが、問題演習で空洞化しているのではないだろうか。
しかし、学校は「立ち止まり・回り道」という、理解や思考に誘う強みを持っている。普段の生活ではやり過ごしてしまうようなことを、立ち止まり、考える場が学校というわけだ。
その点で、生徒たちの視野や社会への関心が従来の学校で狭められてしまっているのではないか。例えば、運動系の部活動で筋トレをするのは実際に試合で闘うためであるはずだが、現在の授業はまるで“筋トレのための筋トレ”になっている。それでは、生徒たちは実際の試合(ゲーム)の面白さや文化の厚みを味わうことができない。ドリルはしてもゲーム(学校外や将来の生活で遭遇する本物の活動)をせず、生徒たちは本物を知らずに学校を去る。
つまり、分かりやすく教材化する際に、授業で教える内容からいい意味でのノイズを減らした結果、教科の内容から醍醐味が失われている。生徒たちに生(ナマ)の物、現実のノイズや文化の厚みに触れさせることこそが重要なのである。
教科する!
そのためには、「教科する(do a subject)」授業が大切だと石井先生は言う。
これは、「教科の内容を学ぶこと(learn about a subject)」と同じではない。「数学する」「科学する」という、教科内容の眼鏡としての意味や教科の本質的なプロセスのおもしろさを追究するという意味だ。
例えば、「科学する」とは、科学の世界観の眼鏡をかけることであり、そうすると世界の見え方が変わる。歴史の教師は教材研究をしてその結果を分かりやすく生徒たちに教えようとするが、教材研究の中で史料をもとに発見したプロセスこそ歴史の醍醐味であるはずだ。そこを生徒たちと共有していくことが重要なのである。国語でも、ある作品を読んだ時に、「こう読むべきだ」と押し付けるのではなく、「君たちはどう読んだの? 先生はこう読んだ。そこが読めないとまだまだ甘いね」という、教師と生徒とが「競る」関係を構築することが大切だ。
いま必要なことは、このような授業を回復していくこと。オンライン授業もブレンディッド授業もツールでしかない。テクノロジーの質以上に授業観が重要だと、石井先生が主張する所以である。
参加者同士の対話 1 -ブレイクアウトセッション-
続いて、参加者が4~5人のグループに分かれたブレイクアウトセッションでは、石井先生の話題提供を踏まえ、「本物の学びと聞いて何をイメージするか」が議論された。
あるグループでは、「なかなか本物の学びをイメージするのが難しい」という感想もあったが、「英語の授業で、CNNのニュースを題材にSDGs(持続可能な開発目標)の課題解決型授業につなげている」。「地理の授業ではGoogle Earthを使って、洪水や南海トラフ地震の防災プログラム、防犯プログラムなどを作り、新課程で扱われる地理の学習をめざしている」という事例が紹介されていた。また、ある農業高校の先生からは「実習で調理があるが、海外のレシピを参考にして海外と日本との違いを考えさせたりする」といった授業も紹介された。
話題提供2 本物の学びをどうデザインするか
話題提供2本物の学びをどうデザインするか
後半は、ブレイクアウトセッションでグループから出された質問に石井先生が答える形でスタートした。
『本物の学び』と『探究的な学び』という言葉の使い分けは?
「探究的な学び」は狭義には総合的な学習の時間を中心に、自ら問いを立てていく。その意味で教科の学習とは異なります。「本物の学び」は教科や探究等も含めて参画型の学習など、それらの上位にあると考えていただくとよいでしょう。
他の先生方をどう巻き込むか?
学校ぐるみで授業改善に取り組むときに大切なのはビジョンの対話的な共有です。ビジョンとは、目の前の生徒たちに何が必要かを考えるということ。授業手法から入ると、「自分のやり方に文句を言うなと」いう抵抗が起こりますが、目の前の生徒たちの何が課題かから考えると、授業改善に消極的な先生も問題意識を持っていて、前向きになります。生徒たちがどんな大人になってほしいか“一人前像”を共有した上で、そのための授業の創意工夫を持ち寄ることが重要です。例えば、「生徒たちに主体的になってほしい」と言っても、その具体的な中身は先生ごとにさまざま。それを生徒たちの実際を通じて教員同士で共有する。
特に、若い先生方を巻き込んで、授業をどう作っていくかを一緒に考えていくことが重要です。若い先生は知識の物量で勝負しがち。生徒から質問されても「知らないよ」「それはここを調べればすぐわかるよ」と切り返せると本物になる。そういう手ごたえを若い先生方と一緒に作っていく。
真正の授業と大学入試、キャリア教育との関係は?
本物の学びとキャリア教育とは相性が良い。経済的に働いていく、市民としての教育という観点からも教科の意味を捉え直すことができる。大学入試と本物の学びとの関係については、実は大学受験は学問と近いところにある。大学入試の問題を学問として解いてほしいが、テクニックとして解かれがち。例えば、国語科で文学を読むという本物の学びで本質をしっかり読むことで結果的に入試対策にもなり得る。大学入試問題の裏にある本物を味わわせていくことが重要で、こう目線を上げていくことは受験対策にもつながると思います。
どのように「教科する」授業を創るのか
本物の学びを実現するために、石井先生は3つの「問い」が重要だと提起する。
- 1つ目の問い
その授業や単元の「ねらい」の先に、目の前の生徒たちの人間的成長への「ねがい」を見据えているか。そして、「ねがい」から教科の意味を問い直していく。 - 2つ目の問い
「知っている・できる」「わかる」を超えた「本物」を経験する学習活動を生徒たちに保障できているか。そして、学力を2層ではなく3層で捉えて、「使える」レベルの学力を意識した学習活動をデザインする。 - 3つ目の問い
生徒が教科書的な正答や教師を忖度する関係を超えて、しっかりと教材や文化と向き合えているか。そして、教え込み(タテ関係)でも、学び合い(ヨコ関係)でもない、教師と生徒が競る関係(ナナメ関係)を構築していく。
そして、本物の授業のイメージとして各教科の授業の実践例を紹介した(スライド参照)。
教科における本物の学びのイメージ
参加者同士の対話 2 -ブレイクアウトセッション-
続いて行われたブレイクアウトセッションでは、前半と同じメンバーで「本物の学びをどうデザインするか」について話し合われた。
リフレクション
リフレクション
最後のリフレクションは、再び、グループから出された質問に対して、石井先生が回答していった。
本物の学びとは端的に言えば大人の学びではないか?
そうとも言える。生徒たちにどういう大人に育ってほしいかにもつながる。「本物」の具体的な内容は時代で変化するが、基本は変わらない。ルーブリックは“憧れづくり”であり、生徒たちは良いものを見て憧れて真似をする。だから「見せ場」という舞台づくりが重要。従来型の学校は「見せ場が貧弱で練習が豊か」ということを逆転していくことが、新学習指導要領の3つの観点で行う観点別評価の趣旨かと思います。
学校としての『ねがい』と教員個人としての『ねらい』はどの程度相違があるか
学校としての『ねがい』とは、組織として生徒たちに責任を持つライン、学校教育目標、校訓を実質化していくということです。それを自分なりのスタイルや授業の哲学に落とし込んで個性化していくことが、教員個人にとって重要かなと思います。
本物の学びを組織的に拡げていく方法でよい例があれば教えてください
ビジョンを共有し同僚性を構築していくことを起点にする。好事例を見て憧れをもち、本物の学びについて校内で学び合う機会や場を仕組み、生徒の学びの可能性を学んでいくと、挑戦したいと前向きになれるかもしれません。
生徒の評価はどうするか? 本物の学びを評価すると本物の学びから遠ざかるのでは?
評価については、形成的評価と総括的評価を区別することが大事。教師と生徒の考えや立場が違っても、論理性を評価することが大切かなと思います。「良く考え抜いたな」「ここをもっと論じていたらすごい」というように、知識の有無ではなく論理性など思考・判断・表現力、どこまで深く自分ごととして考えたか態度面につながる面を評価し、特に凄かったら加点するぐらいの補助的に扱うのが穏当。また、テスト以外の「見せ場」で表現されたものをもとに評価することが大切だと思う。
最後に、「習得」と「探究」が切り分ける発想が強くなっていることを危惧していると石井先生。「知ること」「理解すること」を通じて自分の行動変容もあり得る。それは、子どもたちがいかに生きるのかにつながっていく。教師はそこの矜持を手放さないでほしい。「知ること」と「つくること」の間を改めて考えていくこと。そういう意味で、教師の役割を再度考えていく必要があると思う、と締めくくった。
※このページは日本教育研究イノベーションセンター(JCERI)によって制作されました。