2020年度 第6回 対話のひろば 実施レポートそもそも対話を考えよう!
2021年3月14日 実施
今回のテーマは「そもそも対話を考えよう!」である。
ご存知のように、新学習指導要領のキーワードの1つが「主体的・対話的で深い学び」である。自らの考えを広げ深める「対話的な学び」は、これまでも言語活動の充実として取り組まれてきたが、授業の中で対話の時間を設けてもうまくいかなかったという声も多い。
さらに、昨年来のコロナ禍でオンライン授業やテレワークが常態化しているが、オンラインでの対話は、対面での対話とはどのように異なるのだろうか。
今回は、都留文科大学講師 山辺 恵理子(やまべ・えりこ)先生と桐蔭学園理事長 溝上 慎一(みぞかみ・しんいち)先生に話題提供していただき、コーディネーター役の立教大学教授 中原 淳(なかはら・じゅん)先生も交えてディスカッションを行っていただいた。以下、当日の様子をレポートする。
プログラム ※所属・役職は開催当時のもの
- 話題提供1 対話のために必要なこと 都留文科大学講師 山辺恵理子先生
- ◆ 参加者同士の対話 1 「3つのケースは、なぜ対話がうまくいかなかったのか?」
- ◆ 参加者同士の対話 2 「9つのポイントの他に加えるべき項目は?」
- 話題提供2 対話を心理学的に捉えて理解を発展させる/オンラインで対話的な学びは扱えても育てられない 桐蔭学園理事長 溝上慎一先生
- ◆ 参加者同士の対話 3 「あらためて対話とは何か?」
- ディスカッション
- 溝上 慎一先生 × 山辺 恵理子先生 × 中原 淳先生
話題提供1 対話のために必要なこと 都留文科大学講師 山辺恵理子先生
「対話」に参加できないと生きていくのが困難な時代
都留文科大学講師 山辺恵理子先生
教育現場で対話が強調され始めたのは、アクティブラーニングを取り入れる2014年ごろからだ。その背景として、変動する世の中で学び続けることの重要性や、学力の3要素のうち未来に対応できる「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう力、人間性等」を育成するには「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善が必要で、そのため対話が授業の中の重要な活動の一つに位置づけられていることが挙げられる。
また、SDGs(持続可能な開発目標)など答えのない課題に取り組む、言語や価値観など「当たり前」を共有しない他者との対話・協働が求められる時代的背景もある。加えて、SNSなど相互性の高いプラットフォームへの移行で絶対的な知がないなか、一人ひとりが真実を探っていくため、対話して理解する欲求が社会的に生まれている。
こうした社会では、言語能力に問題があるなど対話に参加できないと生きていくのが困難であり、学校では生徒がそうならないような教育が求められている。
では、何があれば対話が成立するのだろうか。ここで山辺先生は、対話を取り入れた授業がうまくいかなかった3つのケースを紹介する。
小学校の総合的な学習の時間
環境問題に関する調べ学習の成果を発表した後、単元のまとめとして先生が「どのような身近な環境問題がありますか?」と問い、生徒から意見が出て盛り上がることを期待したが、意見が出なかったケース。
高校の英語の授業
テンポよく生徒を次々と当て、課題文に出てきた英単語や英文法の理解度の確認を行った後に、「物語の後に何が起きたと思いますか?」と問い、生徒が沈黙するという想定外の展開になったケース。
大学のオンライン授業
文献講読の後に先生が「どんなことを考えましたか?」と問い、オンラインで沈黙になったケース。
-参加者同士の対話 1 「3つのケースは、なぜ対話がうまくいかなかったのか?」-
あるグループでは、ケースを越え、対話の成立条件について、次のような議論が活発に行われていた。
- 「ゴール設定がない対話はうまくいかない」
- 「雑談は共通点が重要だが、対話は意見の違いこそが重要」
- 「対話は結論を出すためのものではなく、違いを知って、それを楽しみ、自分の視野が広がるもの」
- 「Aだと思っていたことがBだったのかというプロセスの中の気づきではないか」
- 「対話のグランドルールが必要」
- 「何か正解があるわけではないという発想が重要」
- 「それが言えるのが心理的安全性という条件ではないか。安心して話せるのが大事」
対話を取り入れた授業づくりのポイント
次に、全体セッションでは、なぜ対話がうまくいかなかったかを、授業づくりのポイントから考えた。授業を「導入」「展開」「まとめ」の3つの段階に分けて考えると、それぞれの段階の目的は異なり、その目的に合わせた問いを選ぶことが重要だという<図1>。問いがあれば無条件に対話が成立するわけではないのである。
<図1>「対話」を取り入れた授業づくりのポイント(山辺先生ご提供)
それぞれ見ていくと、
小学校の総合的な学習の時間
「どのような身近な環境問題がありますか?」という問いは「まとめ」の段階で投げかけているが、本来は「導入」で問うべきといえる。
高校の英語の授業
「物語の後に何が起きたと思いますか?」という問いは「展開」の段階の問いではあるが、それまでアップテンポで進んできた「導入」の流れをそのままに問いとして出してしまった点が問題ではないか。問と答の〈間〉を設けるなど、一区切りを入れるべきということである。
大学のオンライン授業
「どんなことを考えましたか?」という問いは、本来なら「展開」の段階だが、「導入」で理解度の確認もないまま問いを出している。そのため学生は意見発表に不安を感じてしまったのではないだろうか。
このように、問いの選び方も、導入・展開・まとめによって異なる。授業で対話を意図して問いを投げかける場合、段階の目的に合わせた問い、〈間〉の設定が重要というわけである。
次に、「哲学に学ぶ対話の条件」についてである。
哲学者が考える対話とは何かを、河野哲也、納富信留、中島義道などの哲学者の著書から引きながら考察していく。哲学的に対話とは、対話相手と真理や善などの共同の探求をいう。だから一定のテーマで議論し、対等で相互的に人格同士が交流していることが条件である。
しかし、そのままでは授業に取り入れることは難しい。そこで山辺先生は、対話を取り入れた授業では、哲学に学ぶ「対話」の条件「テーマ」「問い」「議論(言論)」「相手との対等性」「相手との相互性」「相手の特定性」「(共通了解に向かって)考えを進めていくこと」「個人の視点」に、前述の「問と答との〈間〉」などを加えた9つのポイントが挙げられるという。
ここで、「相手の特定性」とは安心して自分の考えを発表できる環境の条件を指す。また、「議論(言論)」には、哲学では自分の考えと根拠が求められるが、対話ではこの根拠を客観的なものでなく「個人の視点」から語ることが重要という。「個人の視点」にすることで、対話者が知識の量ではなく経験から語ることができ、年齢が違っていても対等な相互性が生まれるのである。
そして個人の視点で語れるのは「特定の相手」だからできることで、不特定であれば語ること自体に不安を感じ、対話が成立しない恐れがあるというわけである。
-参加者同士の対話 2 「9つのポイントの他に加えるべき項目は? 」-
あるグループでは、次のような意見が交わされていた。
- 「個人の視点が重要だと実感した。特定性ということは、その人の得意なことや個人の特性などがわかっており、その人の発言の背後にあることも含めて理解できるということ」
- 「上から目線の指導者がいると対等ではなくなるし、対話ができない。私が上という発言があると成立しない」
- 「場の安心性、何を言っても大丈夫ということが大切。言ったら否定されるのではないかという不安を払拭し、心理的安全性かつ承認欲求を満たす仕掛けが、追加項目としてあるといいのではないか」
- 「学生同士でも、かつては悪いところを見つけて、そこを攻撃する感じだったが、今の学生は、誰のどこが強みだと見えている感じがする」
- 「今、将来の社会での対話のための訓練をしているという認識を共有できるといい」
話題提供2 対話を心理学的に捉えて理解を発展させる/オンラインで対話的な学びは扱えても育てられない 桐蔭学園理事長 溝上慎一先生
オンラインで対話的な学びは扱えても育てられない
桐蔭学園理事長 溝上慎一先生
溝上先生は、今回は、山辺先生とは少し違う角度から、心理学的に対話について説明を試みる。そして、オンラインにより対話の可能性は広がったが、オンラインだけで対話的な学びを育てるのは難しいと釘をさしたい、と前置きした。
まず、対話を捉える角度の違いについて、山辺先生は対話の当事者たちを上から捉えた説明であるのに対して、溝上先生は対話の当事者個人にポジショニングして、心理学的に対話を見てみようというわけである<図2>。
<図2>「対話」を心理学的に捉え直す(溝上先生ご提供)
その上で、一方通行の講義の場面を2通り想定してみる。
個別に家庭教師から講義を受ける場合は、生徒にとって先生との関係で起こることがすべてであるのに対して、教室で一方通行の講義を受ける場合は周囲にも生徒がいて、対話をしなくても生徒は周囲を意識し感じている。これが目には見えにくいが「シンボリックな社会的相互作用」であり、テストや講義でも生徒は周囲からの情報で自分がどれくらいわかっているかをなんとなく感じているが、1対1の家庭教師ではまったくそれがない。
アクティブラーニングやグループワークでは、さらに目に見える形でシンボリックな社会的相互作用が生まれる。他の生徒やグループがどんなことを議論していたのかが可視化され、複雑に豊かさを増していくからである。
ここで「対話」に注目していく。
教育学者の佐藤学先生は、対話には次の3つがあるとした。
- 対象(学習課題)との対話
- 自己との対話
- 他者との対話
そして、対話の必要十分条件は、自分にとっての「意味」が生成されることだという。「意味」の原義は「接続」にあり、今までつながっていなかったものがつながり、「あっ、そういう意味だったのか」となるような、非常に生成的なプロセスを「対話」は表しているという。
しかし、対話をしさえすれば、学び成長するわけではない。そこには他者との違いや適度なズレがあった方がよいからだ。逆に言えば、異物としての他者性が自身にぶつかってこないと、学び成長しないということでもある。他者との適度なズレに対し自分の考えを返すことで相互作用が生まれ、学び成長していく。つまり、差異(ズレ)から同一に向かっていくプロセスが人を成長させ、その過程に佐藤学先生の3つの対話があると言える。
次に、オンラインで対話的な学びは育てられるかについて。
この1年コロナ禍でオンライン授業が普及し、Zoomのチャットやブレイクアウトルームによる対話も可能になった。コロナ禍以前も、生徒同士がリアルに集まることはなかなか難しかったが、オンラインでそれが容易になったことなど良い面もあった。
しかし、オンラインで対話を扱えても、対話的な学びを育てるのは難しい。なぜなら、対面でないとノンバーバル(non-verbal)な態度や情報がもたらされない。また、対話的な学びには、聞く力・傾聴力が不可欠だが、オンラインでは育てることが難しい。オンラインで発表することはできるが、発表する声が小さいなどの点を指導できない。大教室の授業では耐えられない学生は次第に授業に出なくなってくる様子がわかるが、オンラインではそれを可視化できない。学生の表情もオンラインでは見えないし、それへの対応もできない。
このように、オンラインだけでは対話的な学びは育てられないが、対面とオンラインを組み合わせたハイブリッド授業なら可能ではないかと、溝上先生は締めくくった。
-参加者同士の対話 3 「あらためて対話とは何か?」-
ここまでの話題提供を受けて、対話とは何かを対話した。あるグループでの対話を紹介する。
- 「対話とは自分のアウトプットを誰かとすり合わせること。一人だと間違えているかもしれない。ズレをすり合せて確認すること」
- 「対話は他者の話を聴きながらズレを確認していくもの。自分の考えを確認していく作業で、新しい了解を得ていくこと」
- 「対話とは他者との違いを確認しつつ、違和感を通じて自分の視座を上げ、視点を変えること」
- 「そもそも対話は楽しいものであり、自分の前提を壊してくれるもの。今朝、私は哲学カフェをやってきたが、毎回『へー』とか『ほー』と思う気づきがある。自分の考えを崩してくれるからこそ、正解主義でないこれからの時代では貴重だと思う」
- 「溝上先生が、対話的な学びは場合によっては強制的に訓練しないとだめだと言われたことが印象的だった」
- 「ノンバーバルもこれからセンサー検知等でフィードバックできると面白いかもしれない」
- 「私は授業を担当しているので、生徒が対話に入ることが楽しいと感じる場を作りたい」
ディスカッション 溝上 慎一先生 × 山辺 恵理子先生 × 中原 淳先生
分かり合えない他者とどう付き合うか
溝上慎一先生×山辺恵理子先生×中原淳先生
最後に中原淳先生をモデレーターとして、3名でのディスカッションが行われた。
中原先生:まず、日本では対話が成立しにくいと言われるが、対話へのイメージがバラバラで共通了解がないからではないか。例えば、対話というとカフェをイメージする人もいるし、「対話とは全裸の格闘技である」(中島義道)という先生もいる。これだけイメージが違うと難しい。「対話とは共通了解を信じて言葉を交わすこと」というのが一番しっくりくる。その上で対話のイメージを語ると「対話とはポトンである」。ポトンと落ちて、ほほーと。
<図3>対話とは「ボトン」(中原先生ご提供)
山辺先生:対話とは、寄せ鍋行脚の一場面ではないか。美味しいものをつくろうということが参加者の目的で、自分たちは具であると想定して、寄せ鍋を何回も繰り返すことで共通了解を探求する。モツやみそなどの強烈な味を制御して、みんながいい出汁をだしていく。対話はその中の一場面というイメージである。
<図4>寄せ鍋行脚の一場面(山辺先生ご提供)
溝上先生:中原さんの「ポトン」と「ほほー」が腑に落ちた。対話のポイントは、気付き、発見、変容だが、気づき、発見=「ほほ―」があって、差異から同一へのプロセスが進み変容していく。そのためには適度なズレが無ければならないというのが、外せないポイントだ。
中原先生:毎回対話のたびに気づきがあるのはあり得ないかもしれない。しかし「ほほ―」くらいはあるのでは。しかも皆が同じでなくて、それぞれの「ほほー」がある。それが重なると共通の了解が生まれるか。私は、相手とのズレを認めるところからトレーニングの場として対話のある授業を学部生に行っている。
中原ゼミの話し合いの原則は以下である。
- オープンに、フラットに議論をすること。意見を表明し合えること。
- 議論を通して「考えの分かれ道」を探りあうこと。「わかりあえないもの」が、どの地点から生じるか、その「分岐点」を明らかにすること。
- 議論を通して、いまは「わかりあえない」「相手の主張に見るべきところはないか」を探り合うこと。
- オープンに意思決定すること。
- 意思決定した内容には、自発的に従うこと。よきフォロワーになること。
- 意思決定した内容に、少数派の意見を交えた運営を行えないか、何か反映するべきところはないかを、探ること。
また、最近よくある「民主的な話しあい」を蝕む「イイネ症候群」と「すぐに多数決病」にはご注意を!ということだ。
最後は「他者には他者の合理性があり、その分かり合えない他者とどう付き合うかが対話の課題。あの手この手で対話を仕掛けてほしい」と、中原先生から参加者へのメッセージで締めくくられた。
※このページは日本教育研究イノベーションセンター(JCERI)によって制作されました。